声が小さい人は美しい

水谷健吾です。


いつも仕事するときに行くカフェがありまして、そこはオフォスビル内にあるせいか、ラウンジみたいに席同士の距離もあり、広々とした場所になってます。

そのため、ほとんどのお客さんは特に自分の声の音量を気にすることなく会話しています。

でもまさに今、僕の隣にいるサラリーマン男性2人が、それはそれは小さな声で話をしているんですね。


僕はもう全然聞こえないですし、互いに「え?」と、なんども聞き返しています。

聞き耳を立て、その会話の内容を拾ってみると、先週の休みに娘を連れて遊びに行ったとか、部下にどう接するべきかとか、別に機密性が高い話をしているわけでもないのです。


なのに声が小さい。

ただただ、声が小さい。


時折「え、そうなんですか!」みたいな盛り上がりを見せることもあるのですが、そんな不意の、思わず出てしまう声ですらとても小さい。


おそらくこの二人は、日頃からずっと声が小さいと思うのです。

もはや「声を大きくしてなるものか」という意思すら感じさせます。

そんな人間が僕の隣にしかも2人もいる。


そんな2人の隣で座っていると、不思議なもので「声が大きいこと」への違和感を抱きます。


僕らが声を大きくする時。

それはいったいどんな時なのだろうか?と。

例えば相手への威圧。もしくは虚勢や嘘がバレた時。

または社会人としての義務感や部活動でのしきたりなど。


とにかく、何かしらの目的をもって声を大きくするのだと思います。


「小さな声」というのは、それらの執着が全て取り払われたものなのかもしれません。

もし死後の世界というものがあるのなら、彼らのようなものかもしれない。

そんなことを思いました。


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