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Soup(西村曜)

 今回のテーマは「本棚にある、タイトルに飲み物が出てくる本」。無茶題です。三人で話し合って決めたのですが、三人寄れば文殊の知恵のぎゃくの現象が起こり、こんなことになりました。決まったとき、どうしてこんなことに……となりつつも、わたしのあたまのなかには一冊の小説のタイトルがありました。それが吉田篤弘『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(中公文庫)です。……スープって飲み物なんでしょうか。飲み物というより料理っぽい(?)気もしますが、じゃあスープをどうやって食うのかといえばやはり飲むので、スープはかんぜんに飲み物です。

 『それからはスープのことばかり考えて暮らした』は、とある青年が越してきた町でさまざまな人と出会う物語です。アパートの大家さんである「マダム」、商店街のサンドイッチ屋の店主とその息子。隣町の映画館のポップコーン売りの青年、そして映画館で出会うある女性。サンドイッチ屋さんの名前は〈トロワ〉、映画館は〈月舟シネマ〉、青年らがたまに食べにいく夜鳴きそば屋では最初に来たお客さんのことを「一番星」と呼んでいたり、ネーミングがいちいちかわいらしい。そんなかわいらしい町のかわいらしい人々の、なんでもないようでなにかしらあるお話です。

 タイトルどおり、物語のなかで主人公の青年は「それからはスープのことばかり考えて暮ら」すようになります。ひょんなことからスープを作りだすようになったためです。その熱中ぐあいというか、熱中しすぎてうわの空というか、その心の入れように、いま働いていないわたしはたんじゅんに(うらやましいな〜〜)となりました。熱中する物事があるの、うらやましい。しかしわたしはいま働いていないけれど、それは賃労働をしていない、という意味合いで主婦業はぼちぼちしているのです。主婦業もりっぱな仕事。主婦業にわれを忘れるほど没頭できればいいのですが。そういやこないだリビングのほうきがけと水拭きをしたときはかなり没頭していたな……でもちょっとそういうことじゃない気もする……。

 ところでこの小説のなかである女性がこんなことを言います。「……わたしはね、食べることと、お昼寝と、本を読むことだけ。その他には何もいらないの」いやあ、こんな境地に至りたい。さっき何かに没頭したいと言ったばかりなのに矛盾していますが、これはこれでそうなりたい。じつはわたしのいまの暮らしもそこそこ、食べることとお昼寝と本を読むことだけで構成されているのですけど、でもちょっとそういうことじゃないんだなあ……。

 「あとがきにかえて」で著者の吉田篤弘さんが、この小説の(勝手な)テーマソングとして空気公団の『音階小夜曲』をあげていらして、いまそちらを聴いているところです。素朴な音階の歌詞を聴いていると、わたしのこのぼやぼやした日々ですら、吉田さんの書く小説の一編のようにもおもえてきて、いや、そうおもいたくなってきて、ずっとリピートしています。わたしにもそれからはそれのことばかり考えて暮らす何かがあればいいなあ。あっ短歌……。

この秋を考えなしに暮らしているスープの皿をスープで満たし

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