映画館で映画を観る

随分と時間が経ってしまったが、昨年の夏、「長崎からの郵便屋配達」という映画を見た。

きっかけは、映画ロケの撮影を担当したカメラマンから一緒に見に行かないか誘われたのだ。せっかくのお誘いだったが、予定が合わなかったので、平日の真昼間、会社を抜け出して銀座の映画館にひとりで観に行った。

コロナ禍もあって、本当に久しぶりの映画館。そして、放映自体もコロナ禍で大幅に遅れたらしい。

映画は本編が始まると、いきなり白人女性が現れて英語でしゃべり始めた。んんん、フランスにロケに行ったとは聞いていたけど、長崎がテーマで、しかも英語?

何の前知識もなく、映画館に行ったからである。そんなに難しい英語表現はなかったので、字幕はたまに参考程度にして、英語のまま聞いていたが、突然分からなくなった。

主人公がフランス語に切り替えたのだ。

映画の主人公の女性は、英国人の父とフランス人の母の間に生まれたバイリンガル。フランス人と結婚なさったので、普段、家族とはフランス語、フランスにあるインターナショナルスクールでは英語で教えている方のようだ。

なるほど、英語はフランス語訛りが無く、表現も平易なわけだ。少しずつ閉経や事情が分かってきた。

主人公が過去を振り返りながら語るドキュメンタリーのような映画なので、突然、フランスにおける同時多発テロが話題になる。出張先に家族から電話が鳴り、安否を心配される。何事と思っていると、パリの劇場を舞台にテロが発生し、一般市民が何人も犠牲になった。

あったな、そんな事件。「イスラム国」ISISを潰そうと国連軍が躍起になって軍事作戦を展開していた2015年頃の話だ。でも、それが、なぜ長崎に繋がるのか?

正直、直接的な繋がりはない。ただ、主人公の父で英国人であるタウンゼント氏が著した「A Postman in Nagasaki(長崎の郵便配達)」がきっかけになっている。タウンゼント氏が亡くなったのを契機に遺品を整理する中で、過去が蘇ってくるのだ。パリの同時多発テロとの共通項は、罪のない一般市民が犠牲になったことか。

被害者の規模も時代背景も、経緯も全く異なる気がするのだが、フランス(パリ)と日本(長崎)を結びつけるのは、主人公の亡き父の存在だ。

第二次世界大戦で活躍した英国のパイロットで、エリザベス女王とのロマンスも噂されるほどのヒーローだった主人公の父が、戦後、世界を放浪し、長崎に辿り着き、原爆被爆者である谷口稜曄みちてる氏に直接会ったことで、激しい衝撃を受けたことがきっかけ。

長い間、長崎の地に留まりながら、言語の壁を乗り越えながらMichiteru氏の体験を聞き出したというものだ。父の書斎に残されていた膨大なカセットテープを起こしながら、今は亡き、若かりし頃の父の肉声に触れることで、主人公もまた深い衝撃を受ける。その経験を通じて得たものを、時間を掛けて消化し、普遍的なものに昇華させるために映画化したのだ。

正直言って、キリスト教的見地に基づく、いわゆるヨーロッパ的なものの見方だなと思ってしまし、パリの同時多発テロにおける原因については、自国(フランス)の軍事行動によって家族を失った無辜の人々のことは全く視野に入っておらず、反省の「は」の字も無い。なぜ、敗戦が確定していた日本にわざわざ原爆を落とす必要があったのかという視点もゼロだ。

それでも、原爆被害の悲惨さを訴え続けたことが、キューバ危機を最終局面で回避させたのだろうし、現在のウクライナ戦争においても核兵器の使用が抑えられていることに繋がっているのだろう(今のところだが)。

日本人にとっても一見の価値はある。地味ながらも、ロングランとなり、公表を博した理由は確かにある。モヤモヤしたものを心に抱えながら映画館を後にしたが、この、モヤモヤ感は勝手にスッキリさせてはいけない類のものであることだけは分かる。

映画館でみるべきだが、いつか、ストリーミング配信でもいので公開して欲しいと思う。