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精神的な成長に必要な心の糧とは

昨年の4月の全寮制の学校に入った長男。本来、男女共学のはずだが、同学年には男子生徒しかおらず、とにかく荒れているらしい。異性に良く見られようという意識が働かないと、荒むのは男女共通かもしれない。

冬休み前は、親が心配になるほどストレスを抱えていた様子だったが、年末年始を挟んで約2週間、ストレス源から遠ざかって穏やかな日々を過ごし、期末テストに向け、気持ちも新たに足取り軽く寮に帰っていった。

親としては、一人くらい切磋琢磨し合えるライバルのような存在がいて欲しいとは思ってしまうが、妙に大人びているのか、単に生真面目なのか、同学年とは精神年齢的に釣り合わず一匹狼で、主に海外出身の先輩と行動を共にしているらしい。

昨年は、先輩率いるロボコン・チームが全国大会に出場しため、息子はピットクルーとして参加。(私も含め、家族はオンラインで観戦した)

先輩たちによる全国大会出場に至るまでの努力や情熱を目の当たりにしただけでなく、自らも初心者チームで地方大会に初参加し、何かを成し遂げることの大変さを体験。競技大会会場の圧倒的な熱気にも刺激を受けて、ストレス源だった同学年の問題児たちのことはどうでもよくなったらしい。

「他人は他人、自分は自分」

そう思えるようなったのは、精神的に大きく成長した証だろう。

また、どうして問題児は、問題行動ばかり起こしてしまうのか、息子なりの原因分析をしていた。曰く、

  • 実体験が貧弱で、認識している世界や興味の範囲が狭く、話題も乏しい。本当に興味のあることに夢中になって取り組んだことがなく、敢えて言えばビデオゲームくらいしか楽しいと思えることがないのもしれない。

  • 勉強全般に対してやる気が無く、常にどれだけうまくサボるかだけを考えている。60点が合格点だとすると最初から60点を目指す姿勢で、なんでも最初から目標をぎりぎりに設定し、最低限の努力でやり過ごそうとする。結果として成績も振るず、ギリギリで落第(補習で救済)している。

  • 中学レベルの学力が不十分なので、勉強する上での基礎力がない。何が分からないのかも分からないので、質問できなし、仮に質問しても回答の意味が理解できない。結果、どこから手を付けて良いのかわからず、授業中にYoutubeを見ていたり、寝ていたり、自習時間もさぼってゲームしている。

  • そもそも、学ぶことそのものに楽しさや喜びを持てていない。いままで、ずっと人(親)から言われたことを仕方なくやってきてようで、勉強の目的もテストでいい点を取ったら何か(ゲーム等)を買ってもらえる等、物欲に釣られてやってきたらしい。

  • 自分がいかに恵まれているのかに全く気づけていない。極端な例かもしれないが、タイでは貧富の差が激しく、自分専用の車に運転手とメイドがいるような凄い金持ちの家庭の同級生がいる一方で、辺境を旅すると国籍すら持たせてもらえない少数民族もいた。

  • 自分の言動が他人に迷惑を掛けているかもという認識が殆どない。例えば、人から借りたものを返さない、壊しても指摘されるまで言わない、共同利用物を持ち出して返さない、共有スペースを散らかしたままにする、何日も風呂に入らず臭い、洗濯機を途中で止め他人の洗濯物を出して勝手に使う、財布を放置しておきながらお金が盗まれたといって騒ぐ、所有者不明の衣服が大量に発生してあちこち放置される、出された寮の食事がまずいと文句を言う、バーべーキューではまだ食べていない人をことを顧みず肉を全部食べた挙句に後片付けを一切しないで立ち去る、休日にホテルに外泊して遊び歩き感染してクラスター源になる、といった数々の問題行動を起こしている。

他人から一目置かれるような特技や実績がなくても、小さな成功体験を積み重ね、成長出来る(自分で自分を大きくしていける)という自信があれば、何とかなる。どんなことからでも学びを引き出し、時間と共に問題行動が減っていくのだ。しかし、自分の中に「核」となる芯が無いと、せっかくの経験の場があっても何も身につかず、自律的に伸びていく成長軌道になかなか乗ることが出来ない。成長を実感できず、自分に自信を持てない人は、何かにすがりたくなる。何が問題かも判断できないので、もがけばもがくほど、ありたい姿の自分と現実の自分が乖離していく。そこには深い悲しみがあり、行く先には絶望が待っている。怪しい宗教がはびこってしまう素地も、きっとこのあたりにあるのだろう。

どんなに小さくてもいいから「核」となる自分があってこそ成長出来る

お金持ちの家庭に生まれても、どう育てたらよいのか分からない親の下で育てられると、結果として子どもはスポイルされてしまう。タイに駐在していた時に富裕層向けのビジネスを展開する関係会社があり、法務支援で関わっていたが、大金持ちの親にスポイルされたと思われるドラ息子によるクレーム処理がうんざりするほど大変だった。私は中高時代、本人が望まないまま、親が医者だというだけで、医者になることを運命付けられた子息たちが、お金にモノを言わせて預けられる全寮制の学校に通っていたが、上記よりもひどい経験をした。

好きなことをやらせてもらえず、本人の望まぬ勉強ばかりを押し付けられると自暴自棄になる。仮に他人に迷惑を掛けるようなことをしても、親が尻ぬぐいをしてしまい、責任を取らずに済むという間違った「成功体験」を積み重ねると人格が捻じ曲がる。自分に自信が無いためか寂しさに勝てず、本来の自分を押し殺して他人に合わせてしまう人も多い。悪い意味で「徒党を組むやから」に成り下がるのだ。

まさか息子にも同じような思いをさせることになるとは思っていなかったが、息子本人が行きたいと決めた学校なので、納得した上で我慢しているようだ。息子の成長の機会を与えて貰ったと思うようにしているが、親としては微妙な気持ちだ。必要以上にストレスの掛かる悪い状態が、あまりに長引くようなら、思い切って環境を変えるしかないだろう。

今の社会では、何をするにも、お金が必要になるケースが殆どだが、お金の扱い方を知らないと不幸にしかならない。周りの態度が、自分を見ているのか、自分が持っているもの(お金)を見ているのか、区別がつかなくなり、結果として拝金主義、人間不信に陥るからである。

昨年末に、ご近所に配った畑の大根ではないが、生活を質を豊かにするのは、お金そのものではなく、地に足がつき心がこもった物々交換であり、相手を慮っての善意の連鎖だ。良い連環の中に身を置けるようにするには、自分を惑わす余計なもの(煩悩)から出来る限り距離を取り、心身に影響を及ぼさないようにしなければならない。悪い刺激の少ない、静かな環境を整えるのだ。修行僧が山に籠るのは同じ理由だ。修行僧になるほどの極端な行動をとらなくても、折り合いをつけられる場所はいろいろあるだろう。