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【タイ】コメを巡るタイの農業補助政策の政治利用の功罪

連載「【タイ】コメ担保融資制度の政治利用の経緯と今後の行方」(全5回)の第3回では、コメに関するタイの農業補助政策が、いつごろからタクシン派による政治利用に繋がって来たのか、その変質の経緯を振り返るとともに、その功罪を検証する。


1.コメに関するタイの農業補助政策の変質

 タイの農業補助政策が性質的に大きく変化し始めたのは、タクシン・シナワット元警察中佐(当時)が率いるタイ愛国党(พรรคไทยรักไทย、Thai Rak Thai Party、「タイを愛するタイ人の党」という意味)が選挙に勝った2001年のことである。タクシンが農村振興策の拡充を公約に掲げ、多くの農民票を得て政権の座を獲得したことが背景にある。

 タクシン政権は、多くの農村支援策を実施したが、コメ担保融資制度においては、それまで市場価格よりも低く設定されていた籾米質受価格を市場価格と同等とした。この他にも、農民負債の3年間返済猶予、健康保険制度による30バーツ均一診察、一村一品(OTOP)運動(タイ各地の特産物のマーケティングを通じた高付加価値化政策)等の複合的な農村経済活性化策を展開し、経済成長の恩恵に与ることを知らなったタイ農村部(総人口の67.9%を占める)からの絶大な支持を獲得していった。

 これらのタクシン政権による農村部に向けたポピュリズム(大衆迎合)政策は、当初の都市部と農村部の格差是正といった均衡あるタイ全体の経済発展策としての性格から、時間の経過とともに、政権自身を長期化せしめる為の重要な手段の1つへの変質していくことになる。特に、籾米担保融資制度における度重なる融資基準価格引き上げは、こうした政治的な思惑の中で方向性が決められ、目的と手段を逆転させる結果となった。コメ担保融資制度自体も、実質的に政府による籾米の最低価格を維持・保証(price support)をする性格を持った、より直接的な市場介入策へと変貌することになる。

前回のおさらいの意味も含め、本来のコメ流通過程とコメ担保融資制度下の政府管理によるコメ流通の差異を図にすると、以下の通りである。

 経済合理性を勘案すると当然のこととなるが、政府が籾米の質受価格を市場価格より高く設定すればするほど、農家は質入する籾米の数量が増え、かつ、質入した籾米の買い戻しをする確率も下がる。

 質受基準価格を従来よりも大幅に引き上げた2008/2009年には、農家が質入した籾米は、全国の籾米数量の3分の1に達した。また、タイ政府は、質流れした大量の籾米を、精米工場で精米してからタイ国内外の市場に放出するまでの流通過程を自ら担うこととなり、ひとつの巨大なコメ取引商と化した。

 とはいうものの、タクシン政権期(2001年~2006年)におけるコメ担保融資制度は、融資枠に制限が設けられていた。例えば、籾米を質入できる数量は全国合わせて6百万トンを上限とされ、各農家が質入できる金額も35万バーツまでとされていた。このため、全国約3百万戸の農家の内、2005/2006年度にコメ担保融資制度を利用した農家はおよそ60万戸に過ぎず、国家予算における支出額は440億バーツであった。

 コメ担保融資制度は短期間であるが一時的に中断した。これは、2006年9月のクーデターを経て民政移管後の2008年12月に発足したアピシット政権が2009年より同制度に代えて農家の所得保証制度を導入し、国家予算上の国庫負担の低減に努めたためである。しかし、タクシン派政権が過去に導入した政策の恩恵に与った経験のある農民の不満は却って募ることになった。

 農民の不満を梃に、タクシン派は、2011年7月の選挙においてコメ担保融資制度の再導入を公約に掲げ、さらなる大盤振る舞いの約束を通じて、大票田である農村部の支持を集め、選挙で地滑り的な勝利を手にした。これが、タクシンの妹であるインラック・シナワトラ(ยิ่งลักษณ์ ชินวัตร, Yingluck Shinawatra)に率いるタイ貢献党(พรรคเพื่อไทย、Pheu Thai Party、プアタイ党)が政権の座に返り咲いた最大の要因であり、「良識派」たる反タクシン派からは、金に目がくらんだ農民へのバラ撒きによる腐敗した金権政治であると批判されることになった背景である。

 2011/2012年の雨季作収穫分より、籾米の質受価格は1トン当たり15,000バーツと相場の約1.4倍もの高額に設定され、質草となる籾米の数量制限ならびに各農家への融資金額枠の制限が撤廃された。

図:籾米市場価格と融資基準価格(籾米質受基準価格)の推移

この結果、同制度を利用した農家の数は100万件超となり、総生産高に占める受入比率は6割を超え、収穫期毎の国家予算規模は数千億バーツ規模に膨れ上がることとなった。

図:コメ担保融資制度(籾米質受事業)での受入れ量の変化と
コメ総生産量に占める割合の推移

 この極端な制度の運用変更は、事前の財政的な裏付けをもって進められたわけでは無かった為、翌年には財源的破綻を迎える。また、運用において様々な不正が多発し、反タクシン派からの激しい批判を呼んだ。反タクシン派は、政権打倒の手段として批判を法廷の場に持ち込み、破綻することは事前に充分予期されたにも変わらず推進したことには職務怠慢に当たるとして、インラック首相の罷免を求める弾劾訴訟に発展することになる。このあたりのクーデター(2014年5月)前後の政治的な動きについては、次回(第4回)で詳しく触れる。


2.コメに関する補助政策の変質がもたらした構造的な問題点

 タイ政府が2011年以降、市場価格より高い価格で籾米の質受し続けた結果、コメの生産コスト、市場構造ならびに国際市場におけるタイ米の競争力に悪影響が出ることになった。

 以下に、そのメカニズムを順を追って解説する。

(1)タイ米の国際競争力低下

 2011年雨季作以降に適用された1トン当り15,000バーツの質受基準価格は、前述の通り、政治的な思惑により設定された価格であるが、価格引き上げに加え、籾米受入数量上限を撤廃されたため、農家が質入する籾米の数量は増え続けた。一方で、コメの市場価格が質入価格より低いため、農家に籾米を買い戻す意欲は生じない。この結果、コメ保管倉庫の調達から国内および輸出市場におけるコメ放出に到るまで、政府には大量のコメを管理し処分しなければならないことになり、実質的にタイ政府による固定価格での買取制度となった。この点は先に触れた通りである。

 政府によるコメ放出に際しては、国内コメ取引業者、輸出業者に対する入札とともに政府間(G to G)の販売交渉も行われる。

 ところが、ここで大きな問題が生じた。籾米の調達コストが高すぎる為、損失が生じないように価格設定を行うと、白米輸出価格が1トン当たり550米ドルから560米ドルと相場水準よりも高値になってしまう。この結果、国際市場におけるタイ米の競争力は失われ、タイはコメ輸出国世界一の座から転落し、インドとベトナムがこれに代わることになった。これらの国ではコメの国内調達コストがタイ国内よりも低く、1トン当たり400米ドルから450米ドルで国際市場に輸出される。

 これに加えて、政府がコメの品種を問わず高値で質受した結果、農民のコメ作付けの関心は、品質よりも生産数量に重点が置かれるようになった。農家の関心軸の「質から量への転換」である。理由は、コメの品質改良の努力をしなくても、農家は収穫した数量に応じて政府に固定価格で売却できるからである。この点は、その後長期に渡ってタイ米の国際競争力に深刻な悪影響を与えることになる。

(2)国庫負担の増加

 持続不可能な政策であることが分かれば、本来、損失額が巨額に膨らむ前に見直しが掛かるはずである。しかし、抜本的な対応策が取られるまでに2年以上の時間を要した。理由は、コメ担保融資制度(籾米質受事業)による損失(国庫負担金額)は、支出済みの財政年度が終了してもすぐには最終の確定数値とはならないからである。確定しない理由は、農家が政府にコメ質入事業により質草として預け入れたコメは政府の倉庫に保管されているものの、政府が、実際に国内外の市場で売却するまでその損失が確定しないためである。

 時間を要しつつも、2013年6月、国家コメ政策準委員会は3期の収穫年度(2011/2012年雨季、2012年乾季および2012/2013年雨季)における農産物質入事業における収支概算を把握するための推計を行った。この結果、事業損失が2,200億バーツを超える規模になることが判明し、制度としての持続可能性に大きな疑問符がつけられた。当時の試算では、タイ政府が制度の運用形態を変える事なく、その後も継続実施とした場合、損失が1兆バーツにまで膨れ上る可能性が指摘された。そして、不幸なことに、当指摘はほぼ現実化してしまうのである。

(3)制度運用上の不正の増加

 コメ担保融資制度に基づく籾米質受事業ついては、タイにおける農業政策史上、国家予算から同事業への支出金額が最も多くなったが、これに加えて、深刻な不正ならびに汚職が問題となった。

 その原因の1つとして、政府倉庫におけるコメの管理保管の杜撰さがある。そもそもコメの流通の大部分を国家管理とする意志も計画も無いままに、コメの取扱い数量が急拡大した為、政府職員の人的リソースも管理ノウハウの蓄積も不十分であったのである。

 コメ担保融資制度の決算準委員会がまとめた決算報告書の結果、政府職員は公の場で、2013年1月末時点において270万トン分の白米の保管数量が決算数値に不足している事実を認めざるを得ない状況となった。この報告結果を受け、タイ政府は、警察にコメの在庫数量調査を指示した。2013年7月以降の警察による在庫数量調査の結果、資産横領事件として立件可能な不審な事実が、明確な証拠とともに浮かび上がることになる。それらの事実は、盛んに報道された。

 また、カンボジアなどの周辺諸国から密輸入したコメを、コメ質受事業の質草とする事業参加権偽装問題も発覚した。さらに「汚職防止と撲滅のための国家委員会」(NACC)により、コメ質受事業の運営とコメ放出における重大な不正を捜査が進められた。

 同制度運用上、不正は主に8つの段階で発生していることが分かっている。上記説明と一部重なる点もあるが、整理すると以下の通りである。

①周辺国からの安価なコメの流用(事業参加権の偽装等)
②籾米に低品質品の混ぜ合わせ増量(意図的な水増し等)
③籾米保管時の湿気(基準値以上の水分率)による増量(杜撰な管理等)
④計量時の偽装(計測係買収による書類偽装)
⑤精米所から保管倉庫への移送時の割増し請求(不正請求等)
⑥倉庫保管中の精米の品質劣化(基準に満たない劣悪な環境による損失等)
⑦精米倉庫保管中の盗難(資産横領等)
⑧倉庫保管米販売時の特定業者への便宜(特定業者との癒着等)


3.功罪まとめ

コメ担保融資制度の功罪(問題点と効果)を整理すると以下となる。

(1)功(効果)
 ①農家の所得の高水準での維持
  過去に主にタイ東北部で見られたような農村部での子女を売りに出すよう
  な貧困レベルからの脱却を達成。
 ②農村部での経済活動活発化
  所得向上により近代小売店舗の全国展開が見られ、商品流通網が改善。
 ③タイ米の高価格化
  損失に対する過度の心配が不要となった。

(2)罪(問題点)
 ①タイ米の競争力低下に伴う輸出量の激減(輸出国No.1からの転落)
 ・調達価格高騰に伴う輸出価格の下方硬直性
 ・タイ米自体の品質低下による競争力低下
 ②タイ米の品質の低下
 ・農民の関心の「質から量」への移行
 ・管理能力の追いつかない政府機関による杜撰な管理
 ③国庫への財政負担
 ・実態把握の時間的なズレによる対処の遅延
 ④制度運用の各段階での不正の蔓延、悪質度の上昇


以上を踏まえ、次回では、タイにおける混乱と収束の鍵と筆者が認識している「コメ担保融資制度を巡る政治的扱い」について説明する。

(4)へつづく

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