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いつかの木曜日

朝から、予約していた花束を取りに行った。
おしゃれで人気の花屋さんだったので楽しみにしていたけれど、店員さんはみんなせわしなく、およそ花屋のイメージに似つかわしくないほどピリついたムードだった。どぎまぎしながらやっと声をかけた女性店員さんと交わした会話は、最低限のみ。ただ花束を受け取って、お金を払い、店を出た。

なんかな、と思った。嫌なことばを受けたわけじゃない。でも、いつも花屋さんから帰るときに感じる高揚感というか、思わず顔がゆるんじゃうような幸福感がひとつもなかった。せっかく大きな花束を買ったのに、かえって気持ちが曇ってしまったみたいで、「ちがうお店で買えばよかったかも」とちょっと後悔した。


近所の花屋さんのことを思い出す。
今日のお店とは対照的に、こじんまりしたお店で花の品揃えは豊富とは言えない。でもいつも自然と言葉を交わしていた気がする。ベタに気温の話をしたり、花束を渡すときの予定を話したり。「こんな人で」と渡す相手のことを店員さんへ伝えるのには苦戦したけど、相手への想いが露わになって面白かったし、花の知識が聞けたり、季節を感じられるのも楽しかった。
……なるほど、そういうのを含めて、あの高揚感だったんだな。今日の時間があってはじめて、そう気がついた。


よく「大切なものは失ってはじめて大切さに気づく」なんて言うけど、たしかにわたしは、ネガティブな出来事をきっかけにして、なにかに気づくことがすごく多い気がする。先に気づいていれば、ネガティブなことは起こらないで済むのに。何度も体感しているはずなのに、いつも、一手遅い。


手元の花束はとても美しいけれど、ちょっと冷たく、高飛車な雰囲気をまとっているような気がした。
とはいえ、渡す相手にはまったく関係のないこと。そんなイメージは捨て去って、パーッと明るい顔で渡さなくては。
そう決めて、花を包む透明フィルムの上をパッパッとお祓いしておいた。

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