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XXシリーズの加部谷について

甘えて、信じて、きっと応えてくれると期待した、その気持ちが、海に向かって投げた石のように、簡単に沈んでいった。
それは、自分の一部のようなもの、そう思えた。
自分の一部が失われて、今は海の底。

森博嗣/馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow

小川さんと加部谷の探偵事務所の物語が、晴れてシリーズ化されたとのことで本当にうれしいです。
今までのシリーズの中で一番好きかもしれません。
加部谷のことが気になって仕方がないから!
その気持ちを鮮度が高いうちに書いてみようと思います。

「馬鹿と嘘の弓」「歌の終わりは海」「情景の殺人者」の三作品のネタバレを微妙に含みますので、ぜひ本編をお読みになってから、読んでください。



犯人の描き方

今回のシリーズは、なぜ犯人が犯罪に至ったのかをこれまでの作品よりも詳細に描いているように思います。

モノローグや、捜査、主人公たちとの対話の中で犯人は不幸な生い立ちの中で本人なりの美学、思想、信念を持っていて、そのために犯罪を犯すということがわかってきます。

それに対して小川さんや鷹知さんは大人として、常識人として、仕事として、距離を保ちながら、関わります。
優しい彼らは犯人の行動に巻き込まれそうになったり、嫌な目にあったりするけれども、自分を保ったままそこにあります。

加部谷の立ち位置

犯人と、小川さんたちの間の境界にいるのが、自身も深い心の傷を負っている加部谷です。
加部谷のトラウマ、傷つき、卑屈さ、危うさは犯人側になっても、あるいは自分を殺してもおかしくないものだったと思います。
だから加部谷は犯人に同調したり、犯人と同じ気持ちを抱いたりして、犯人の思考を解説してくれます。
加部谷は生と死、異常と正常の境界にいて、犯人のことが「わかって」しまう。

加部谷と犯人を分けるもの

加部谷と犯人たちを分けるものは、小川さんたちとの人間関係があることでしょう。
お酒を飲みながら、紅茶を飲みながら、事件について彼らと議論することで、複数の考えを持つことができる。あるいは共感されて癒されるということが起きる。
彼らとの議論で加部谷はあちら側に行かないで済んでいるのだと思います。

犯人たちにはその対等な議論の場、いわばセーフティネットがないことが共通しています。
だから自分の考えが対象化できない。葛藤しない、逡巡しない。だから犯罪を行える。

だからこのシリーズは、あちら側に行きそうだった加部谷がこちらの世界に居続けるための回復の物語なのだなと思います。
小川さんも鷹知さんも純ちゃんもそれぞれに優しくて泣ける。

基本的には普通の人たちが出てきておしゃべりをする、その中で傷つきが少しずつ癒えていくというのが最高に良いです。傷つきと回復のテーマの物語が自分のツボなんだと気が付きました。

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