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母親の呼び方問題と、私の場合

私は自分の親に対して、「ママ」という呼び方をした事がない。
何より自分自身は「ママ」というキャラではない。「ママ」という存在になってしばらく経った今でもそう思っている。「ママ」という言葉から漂う甘ったるい響きに、私は未だに慣れることがない。
子どもを産んだら変わるかと思っていたのだが、私においてはそんなことはまるでなかった。

なので、「ワーママ」という単語も正直に言ってあまり好んで使う気にはなれない。
「ワーキングマザー」と言うより字数が抑えられ、かつわかりやすいワードなので、note上で使うことはあるにはあるのだが…言い訳だろうか。


そんなやや捻くれ者(変わった人だと言われたりもする)な私は、自分の子どもには絶対「お母さん」呼びでいく、そう決めていた。

だからと言って特別なことはしていない。「お母さんだよ」と、事あるごとに呼びかけるだけだ。
保育園で覚えたと思しき「ママ」という単語で呼ばれても、否定も肯定もせずに「お母さんだよ」と返す。やったことはそれだけだ。

息子の初めての言葉は「バイバイ」だった。
人の呼称として先に覚えたのは「せんせい」や「ばあば」で、なかなか私のことを呼んではくれなかった。
ただ、これは私の中では予想通り。

予想外だったのは、まだ「お母さん」が言えない息子が私のことを呼ぶ時の方法だった。

「(指を指して)これ」。

物扱いかよ。私は苦笑するしかなかった。

とはいえ彼にとって私は世話人のようなもの。召使い感覚と捉えていても、あながち間違いではない。なので、どれだけ我が子に人扱いされなくても、敢えて呼び方を変えることはしなかった。

そんな私だったが、まず「お父さん」が言えるようになり、最後の最後に「お母さん」(正確に言うと「おかーしゃん」)が言えるようになった時は、これでようやく私も人間に昇格したなと感慨深いものがあった。


現在息子は年少クラスに在籍しているが、彼の言葉を信じるなら「お父さん」「お母さん」呼びをしているのはクラスで自分だけらしい。

これに関連したベネッセの調査結果がこちら。

「パパ」「ママ」呼びは「お父さん」「お母さん」呼びの2倍。

保護者の呼び方についてのアンケート
調査地域:全国
調査対象:未就学児・小学生・中学生のお子さまをお持ちの保護者のかた
調査期間:2024年12月13日~1月19日
調査手法:WEBアンケートによるベネッセ調べ
有効回答数:1,644名

https://benesse.jp/kosodate/201903/20190313-1.html

調査対象者の年齢の幅が広いため、どの年齢層の子どもがボリュームゾーンなのかは判断がつかないが、「パパ」「ママ」派が増えていることは確からしい。
この調査結果に添えられたベネッセの分析も、それを表している。

2009年にベネッセが行ったアンケート調査では、「パパ・ママ」派が4割、「お父さん・お母さん」派が5割という結果でした。ここ15年ほどの間に「パパ・ママ」と呼ぶ家庭が増えているとも言えそうです。

https://benesse.jp/kosodate/201903/20190313-1.html

今回の調査では、「お父さん」呼びが25%。前回調査と比較するとおよそ半減しており、客観的な証拠としても「お父さん」「お母さん」呼びが減っていることは間違いないようだ。


保育園に迎えに行くと、同じクラスの子が私を指して「〇〇(息子)くんのママ!」と声を掛ける。
すると息子は「違う!お母さん!」とすかさず訂正する。微笑ましい。
「パパ」「ママ」呼びが多数を占めるようになった結果、「お母さん」の呼び方の珍しさが逆に際立っているのも、なんだか興味深い。

調べていく中で、こんな調査も見つけた。

小学校時代に呼び方を見直す人が多い

(中略)「いつ呼び方を変えましたか?」という質問に対しては、小学校入学に合わせて「お父さん・お母さん」に変えた家庭が圧倒的に多い結果となりました。

https://www.family-dr.jp/?column=17392
それまでの「パパ」「ママ」呼びから、呼び方を変えた時期の分布を示すグラフ。

つまり、「パパ」「ママ」呼びを途中で見直す家庭も実は多いらしい。
しかもこの引用元の記事を読む限り、大きくなればなるほど、呼び方を変えるには時間がかかるようだ。
初めから呼び方を変えることを前提とするならば、最初から「お母さん」「お父さん」呼びを貫く方が、後々を考えれば楽だと思う。

とはいえ、一番最初に我が子が発する言葉は「パパ」「ママ」どちらだろうかとワクワクしている層も一定数いると思うので(むしろこちらの方が多数派かも)、考え方は各家庭それぞれということだろう。

私個人としては、もし子どもに最初から「お母さん」と呼んでほしいのなら、自分の存在を我が子に呼んでもらえるのは一番最後になる、という覚悟(のようなもの)が必要だと思う。
けれども、息子に初めて「お母さん」と呼ばれた時、「母」としての階段をまた一つ登ることができたような気がしたのだ。

急にふとこんな話がしたくなったのは、時期的な問題もあるのかもしれない。

息子よ、お誕生日おめでとう。

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