見出し画像

あこがれの女性

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あこがれる
(自動詞) 対象に向け、そわそわと落ち着かないくらい、心が引かれる。理想のものとしてあがめる。
そして芸術は、この地上的なものが天上的なものを夢見、仮にわけもち、あこがれることで現実を遊離して象徴の中に没入することとなるのである。(中井正一 『現代美学の危機と映画理論』)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あこがれ という言葉は正直いうとあんまり信じていない
体感として しっくりこない

多分書きたいことは(理想のものとして崇める)に類する感情 まつわるあれこれ・・・なんだけれど 崇めるって・・・

ライブや映画で感情が開放されて ぶっ飛ぶことはあるけれど
一番興味深いのは そのロジックであったり動機づけであったり表現技術だったりするそれのもっと奥のリピドーを探ることだったりする

ヤクザの家に生まれてのあれこれからかもしれないし

演劇出身者だからかもしれない

だから それその共感とか ほとんど出来ないので
星空が綺麗で とか 高級レストランで とか ラグジュアリーななんちゃら とか 甘くて優しくて肌触りのいい物語とか いい歌 

とか そういうの
ロジックを読み通してそれでも見えてくるリピドーがないと心が揺れない
そういうことに やられがちな人に見られているかもしれないんだけど
すごくすごく真剣に精査してる

あ、脱線
あこがれの女性 今回はこの言葉を借りてこよう 自分の、じゃないが

わたしは 基本的に性差でカテゴライズしたくないしたくない と思いながら すごく意識している
向き合う相手が男性だと基本的にリラックスするし
トランスジェンダーの方だとかなり緩む(それを逆差別という)

そして なんと言っても女性が怖い 

ヤクザの男社会に育ったからかもしれない
母親の立場を受け持つ人が代わりすぎたからかもしれない

女性自認のバイセクシャルだからかもしれない

女子高 女子大だから・・・いや、その頃にはすっかり女性が怖かった

怖い という単独の感情とその動機づけを紐解くのは今回ではなくて

ただ 怖い というのは わからない という紐付けがあり

未知というのは興味とあこがれを引き出すに充分な材料だ

ああ やっとたどり着いた・・・

冒頭写真は 今では笑っちゃうくらい下手くそなPina Bausch
あの頃は来日公演を待って待って 彩の国のチケットをとっていったのだ

息をしていたのかわからないほど 緊張して興奮して躍動を我が身のように感じる幻影の公演時間をすぎた後 脈打つ頭を冷やしに知らない街を彷徨うと そこに煙草をくゆらす細い細い黒い人影を見つけて震えたのだった

Pina Bausch は あなたにとってなんですか
こころが彷徨ってしまうほど掴めず忘れられず理解も出来ないまま

いつかの時代にその人が現実にそこにいて 一瞬でも時代を場所を共有出来たことを今でも驚いて感動している
彼女の紡がれた作品はまるでそのままその人への気持ちを持って

いまもわたしを揺らし続ける

ね これ「あこがれ」の定義でいいでしょう

短くはない人生の中で あこがれた人は実は女性ばかりであったような気がする

フェリーニ とか カラックス とか ガルシアマルケス とか ヴィアン とか ブローディガン とか ベンシャーン とか 松本大洋さん とか ROTH BART BARON とか 志摩良平さん とか 原マスミさん 井口慎吾さん Stanley Tucci Marcello  Mastroianni 松田充博さん 鈴木慶一さん とかとか・・・・・・いくらでも続く
ファン対象はそれこそ性差関係なく山ほどいるんだけど
ちょっと違う

わたしの核心が揺らされる というのと違う

女性自認であるところに力点をおいてきたつもりはないけれど

もう お手上げで かつ緊張して 襟をただす とか 息をとめる とか

取り乱す気持ちと それをおし殺す祈るような気持ちで見つめ続けてしまう先には 女性がいる

ひとりで その人のことを思う

その人に光を受けて自分の影と重みを確かめざる得なくなる

あこがれの女性

Pina Bausch Anouk Aimée Juliette Binoche Meryl Streep Halle Maria Berry Elizabeth M. Gilbert 武田百合子さん 西加奈子さん 伊藤比呂美さん Björk 高野文子さん 岡崎京子さん 大橋歩さん 吉村眸さん 小泉今日子さん ・・・いくらでも続く

(個人的な知り合いの方のお名前を列挙してしまったのは どっちかの方面に失礼にもなるのか?と、思って消しました
いつか告白したいなぁ 告白しがちであんまり真剣に取り合ってもらえないのでしょうが)

書き出して見るとむずかしい 
あこがれ と ファンな気持ち の境目
大好き というのはまた違うのは はっきりわかるんけど

早春の野原に小さな花が揺れているのを虫目線で感じるのが好き

赤ちゃんの小さな掌が握られているその非力さと圧倒的な可能性の湯気を感じるのが好き

秋空の流れる香ばしい風の中に一粒ほどの光を見とめる瞬間が好き

早夏の海で波のまだ小さな泡でできたフリルに足先を濡らす緊張とワクワクが好き

焚き火の近くで誰かの歌や笑い声を聴きながらまどろんでいる安心感と刹那な夢が好き

の類で

そのたたずまい 瞳の奥の光 優しいシワの入った手のそっと誰かの背中を撫でる優しさ その人であればあるほどな粋な視点

誰かに惚れるのは造作なく(こころの距離をとってしまうのも同じだけ)

でも あこがれ・・・

今日 うつくしい言葉を綴る方を見つけた

ずいぶん何年も前に知り合わせて頂いてはいたけれど 親しくさせて頂く縁にはかなわず
ただきれいな声の優しそうな方で皆さんの輪の中で静かに微笑んでいらっしゃるお姿や 折々のお気遣いに聡明な方なんだろうなぁ と勝手に想像していた

その方が言葉を綴る方だとは存じ上げず

でも視点がきれいな方だなぁとtwitterで拾い読みさせて頂いて思ってはいた
手で作る仕事をされる方として認知していたので(それも きれいで優しくてユーモアがあって清い印象)驚いた

ああ わたしはあなたに憧れてしまいました
2021年の1月に

いつか告白させていただきたい

 
  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?