下野地域警備保障2話

「またねー」
日は沈みかけ、辺りは黄昏色に包まれている。東の空はもう夜の色だ。
「またねー」
あたしはもう一人の女の子に手を振った。あたしはそのまままっすぐ、あの子は右手の角を曲がった。
部活が長引いてしまった。ボール片づけを先輩に言いつけられちゃって、みんなでやってたら、ついおしゃべりが盛り上がっちゃってこんな時間だ。

数学と英語の課題が出てたっけ。八時からジャニーズが出るテレビがあるから、早く終わらせなくちゃ!

そんなことや、あとは晩御飯のことを考えながら帰路を急いでいた。
シャー、カラカラ。
後ろから自転車が近づいてきている音を聞いた。
ピュンッ!風を切る音と共に左腕に衝撃と熱さを感じた。
ドクンドクン。
思わず右手で押さえる。その指の間から鮮血があふれていた。
キャーだったろうか、アアアーだったろうか彼女は声の限りに叫んでいた。
熱かったのは一瞬だけで鋭い激痛が襲ってきた。

キャハハハハハー!

自転車の主は右手に血に濡れた刃物を持ったまま楽しそうに走り去る。
いまだ明るい西の夕日に向かって。泣き叫ぶ女の子はそのままうずくまり、夕闇に飲まれていった。自転車の女は血の付いた手で己の右の耳たぶに触れた。耳のピアスが赤く光ったように見えた・・・。


それを皮切りに、自転車に乗った女による通り魔事件が多発するようになった。この大した事件もない退屈な町では、すぐにこの話題は広まり、人々はこの話で持ち切りだった。中には犯人を見たという者まで表れだし、その姿かたちも次第に尾ひれがついていった。女は腰までかかる長い髪をしているだとか、赤く光る眼をしてるだとか、被害者の血を舐めて喜ぶだとか、長い舌で獲物を巻き取るだとか、マチェットを両手で振り回すだとか、そんな噂がまことしやかに囁かれ一種の都市伝説のような様相だ。吸血鬼だ。とか、いや、鬼女だ。とかあざなされていたが、最近は「赤さん」という呼び名が定着してきた。

赤さんの最初の被害者と思しき少女は、幸い軽傷で済んだのだが、今も通り魔の影におびえ、学校にも通えないでいるという・・・。


「どうします正一郎さん?もう3件目らしいっすよ。」
カツヤが広げた地方紙ごしに黒髪の男に呼びかける。
「・・・遭遇すれば対処する。それだけだ。」
正太郎はコーヒーを片手に窓の外を見ている。
「(あまり関心なさそうすね・・・。)」
その実、殆ど関心は無かった。正一郎はフィアンセを暴行し殺害した人物は男であると考えており、通り魔の赤さんは女性の可能性が高く、重要マークの外であった。また、せいぜい包丁程度の武装ならば、標準警ら装備時の正一郎達が後れを取る可能性は低いのだ。

下総警備保障の隊員が普段の業務中に着用する標準警ら装備、その中の制服は防刃素材で作られている。ケブラーという黄色の繊維からなるその服は、彼らをイエローと言わしめるほど特徴的だ。中世の西洋剣士が着ていたような服をモデルにデザインされており、首周りのカラー・胸・背中・肩・肘には黒のポリエチレンを外装に、薄いステンレス板、クッション性の高い発泡ウレタンフォームをサンドした簡単な装甲板が取り付けられている。手元はパンチング穴の開いた通気性のいい革手袋にカーボンファイバーの装甲板がついたガントレットとなっている。
ズボンは鳶職が履くようなダボっとしたもので、スネを保護する装甲板が付いたブーツの中にまとめられて入れられる。このダボっとした布が使用者の足運びを隠し、また、足の芯がどこにあるのかを悟らせないようにするため、戦闘を有利に進めることができる。足の動きを阻害しにくいため動きやすく、足を上げて登らなければならない時にも負担を軽減できるだろう。
腰回りにはMOLLEウェビングがついたタクティカルベルトを装着しており、先日使ったような各種警備支援装備を収めるポーチが取り付けてある。取捨選択し、装備を増設・削減しあらゆる状況に対応できるため便利である。
たしかに突き刺されたりする攻撃には弱いが、包丁程度の軽量な刃物での切り付けならば装甲板どころか、布地の部分でもダメージを負う可能性は低い。以前の哀れなひったくり犯のように、アンカー(ロープの先に重りの付いた狩猟具)を投げて拘束し、囲んで袋叩きにするだけだ。

「カツヤ、そろそろパトロールの時間だ。」
「ラジャ、これ吸ったら下降りますわ。」
カツヤは残り半分になった煙草をスーっと大きく吸い込んだ。煙草の先端がオレンジ色に燃え輝き、みるみる灰に変わっていった。正太郎はタクティカルベルトを巻き、ドアを開けて階段を降りて行く。
「じゃっ、お留守番ヨロシク!」
腕組みして居眠りしていた若い隊員の頭を強めに叩きながら言った。最も若く、入隊したての彼はもっぱら「ルーキー」と呼ばれている。ルーキーは無言で頷くと、またうつらうつらと船を漕ぎだした。
「あんまりサボってると、バイト代減らされるぞ~!」
それだけ言って、カツヤは階段に向かって走り出した。

日が暮れだしており、木々の隙間に夕日が隠れつつある。正太郎はベルトにつけた装備を確認しているところだった。
「例の被害者の女の子が襲われたのもこれぐらいの時間だったらしいっすよ。」
カツヤが階段をカンカンと駆け下りながら言った。
「ああ。いつでも動けるようにしておけ。」
「ウィッス・・・。」

事務所を出て、かれこれ1時間ほど経った。途中犬の散歩をしているおばさんや、帰路を急ぐ学生とすれ違ったが、これといって事件はなかった。
正太郎は世間を騒がす通り魔事件に関して本当に興味がなさそうだ。しかし、カツヤは通り魔の赤さんについて腑に落ちない点が多かった。
自転車、赤い服、長い髪の女・・・多くの目撃情報を統合すると、この共通点が浮かび上がる。通り魔は一般的に場当たり的な犯罪で、高知能犯と比ぶればずっと逮捕は容易なはずだ。おまけに外見的特徴はかなり目立つ。いくら今の警察が機能不全を起こしているとはいえ、そう何度も逃げおおせるとは到底思えないのであった。

何かがおかしい。これはなにかヤバい臭いがする。強大なバックがいて匿われているか?なんの為に?じゃあ、たまたま数件の通り魔や強盗事件が重なって、そこに集団催眠的な噂話に尾ひれがついて生み出された都市伝説か?それとも本当におばけか妖怪の類か?
「おばけだけは勘弁っすね・・・」
小声で言った。
「?」
正一郎はなにも言わなかった。


日もかなり落ちてきて、東の空は美しい東雲(しののめ)色に染まりだしている。カラスの群れが巣に向かって飛び去っていく。風が吹き道端の雑草がサワサワと揺れる。
そんな、平穏な空気を叫び声がぶち壊した。
黄色の標準警ら装備に身を包んだ二人は瞬時に目配せして声のした方に走り出した。

片側一車線の車道から少し入った住宅地の通りに、制服を着た中学生ぐらいの男の子がいた。肩から下げたトートバッグの紐が片方すっぱりと斜めに切られている。

その前方3mには、自転車に乗った女が進行方向を塞ぐように停まっていた。赤い服を着て、腰まで長い髪をした女が・・・。右手の包丁は灯り始めた街灯の明かりを反射して鈍く輝いている。

「逃げろ!」
正一郎が叫びながら女に突進した。

つづく

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