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大丈夫 #2000文字のホラー

のしかかる重圧感、耳鳴りと息苦しさで目を覚ました。いや実際には覚めていない。金縛りだ。金縛りにしばらく悩まされていると、特有の強い恐怖感で事前に察知できる。まあ、分かったとて再び眠りにつくことも出来ず、ただ解けるのを待つほかないのだが。
ネットでの調べによると、体が眠っているのに脳が起きている為に起こる幻覚を伴う睡眠障害の一種だそうだ。別に病気であるとか脳に異常があるわけでは無く、ただの生理現象であると言える。ましてや霊症などナンセンスである。だから、枕元に立っているこの女も幻であり、何の事はないのだ。大丈夫。

いつ眠りについたのか、気が付くと朝になっていた。当然、足跡とか、濡れた手形といったものは残っていない。目覚ましを一度寝過ごしたらしく、朝食をとる暇は無い。時計代わりにTVを点け着替える。

「本日の大丈夫シティの天気は晴れのち晴れ・・・」

ここは大丈夫シティ。高度な科学技術とセキュリティシステムにより安心安全な街づくりを達成したモデルシティだ。設置当時から順調に人口も増えていき、近くここを手本にした街が増えていくことだろう。万事うまくいっている。

メガ集合住宅から職場までは徒歩10分。住民たちとは顔見知りだが、挨拶を交わすことは無い。ここは大丈夫シティ、みんな平穏に暮らしているので他人の心配をする必要はないのだ。
表の駐車場で交通事故。正面衝突でお互いのボンネットが潰れてくっついている。

「ええ、大丈夫です。保険も入っていますから」

顔中血まみれの男が担架で運び出されつつ言った。自動運転システムのAI判断のラグに運悪くハマったのだろう。こういった事故はほとんど無いといってもいいが万が一に備えて、今も保険が提供されており安心できる。
おっと、よそ見をしていたら人とぶつかってしまった。さすがにこういう場合は挨拶が必要だ。

「失礼しました」

相手はこちらを見向きもせず走り去る。よほど急いでいると見える。

「ひったくり!捕まえて!」

おばあさんが追ってきた。足が悪いのか、足取りがおぼつかない。その顔には苦悶。なんともこの街に似つかわしくない姿だ。
当然、誰も追わない。大丈夫シティで犯罪は起こらないからだ。この街は、24時間365日警戒監視されており、犯罪を起こしたが最後、即座に令状が発行されて追跡、数時間以内に逮捕される。そのようなリスクを冒す人間など存在しないだろう。住民見守りシステムは完璧だ。犯罪は今や、街外やフィクションの中のものとなっている。

職場の入り口に右手をかざす。生体情報に紐づけられた電子チップがデータベースと照合され、即座にドアロックを解除する。強化ガラスの自動ドアが目にも止まらぬスピードで開く。ドアが開くまで待つ必要がなく、非常に生産性が高い。この瞬間が1日の中で一番好きだ。

無人のエントランスを抜け階段で5階を目指す。階段は登れば登るほど健康寿命が数秒延びるというから驚きだ。もう10年は余計に生きられる頃だろう。

「今月、頑ポ※(大丈夫シティの電子通貨) 使いすぎちゃって~超ピンチなんだけど~、スーパー定額支払いサブスクってサービスに登録したら~、なんと月々5000円から設定した支払額だけで済んじゃったの!」
「めっちゃ無理なく計画的支払いじゃん!?」

それは安心だ。

始業開始のチャイムと共に、作業を開始する。コンベアから次々に流れてくる大小さまざまな箱にラベルを貼っていく。貼ってはケースに詰め、また貼ってケースに詰める。立体パズルのように隙間なく詰めていくことが生産性を上げる上で重要となってくる。中に何が入っているのか、どこに運ばれ誰が使っているのか、それは全く分からない。だが大丈夫。きっと人々の役に立っている。上もそう言っている。
箱で満たされたケースをエレベーターに詰めて、自分は階段で下に向かい、数分間寿命を延ばす。安全のため荷物と一緒にエレベーターに乗ってはならない規則だから仕方ない。10往復するころにはもうあたりは暗くなっていた。まだまだこれから。1日の残業時間はきっかり3.6時間と決まっている。1月当たり90時間の残業時間の計算だ。統計上100時間を超えると過労死の危険があるので安全を見た数字となっている。月末に業務が押していれば残り10時間加算できて、無駄が無い。

家の近くで一杯やることで1日が終わる。完全に仕切られたテーブルは感染症対策済みで安心。ロボ店員に注文し、右手をかざす。電子チップで照会されたアカウントから頑張りポイントが引き落とされ決済完了だ。店員はロボだけで構成され、夜中でも温かいものが食べられるのでよく利用している。ハサミ状の手を器用に使い、ハイカロリービールと完全食アンパンが運ばれてきた。いまだにどうやって掴んでいるのか見当がつかない。健康に対するリスク警告が並べられた封印テープを破り、かじり、飲み込む。どんなに疲れていてもすぐに幸せな気持ちになる。明日も頑張ろう。

今は何時だろうか。今夜も枕元に女の霊が現れる。そして強い恐怖感を伴う金縛り。

「大丈夫よ。大丈夫、大丈夫・・・」

怖れと硬直で顔を見ることはできないが、彼女は繰り返しそう呟いている。
聞き覚えのある声だ。

「母さん!」

左手は空を掴んでいた。弾みで吹き飛ばされた目覚ましが朝日を反射して妙に眩しい。
大丈夫。これは金縛りの幻覚なのだから。大丈夫大丈夫。


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