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連載日本史173 戊辰戦争(1)

1868年1月、京都南郊の鳥羽・伏見の戦いを皮切りに起こった戊辰戦争は、新政府軍と旧幕府勢力の間で一年半に渡って繰り広げられた内戦であった。緒戦では4,500名の新政府軍が15,000名の旧幕府勢力を近代兵器で圧倒した。新政府軍には天皇の軍の印である錦の御旗が掲げられた。勝てば官軍、である。大阪城に滞在していた徳川慶喜は朝敵の汚名を恐れ、海路で早々に江戸へ逃げ帰った。

戊辰戦争関係図(「世界の歴史まっぷ」より)

勢いに乗る官軍は江戸に向けて東征を企てた。先鋒を買って出たのは相楽総三率いる赤報隊である。相楽は民衆の支持を得るため、新政府の承認を得て年貢半減令を掲げた。ところが戦費の財源に困った新政府は、三井などの豪商に出資を便り、その過程で年貢半減など不可能であるということになって半減令を撤回。既に京を出発して東に向かっていた二番隊・三番隊は命令に従い帰還したものの、一番隊はそのまま進軍を続けた。やむなく新政府は赤報隊を「偽官軍」として処分。隊長の相楽は、長野・下諏訪で処刑された。

長野・下諏訪の相楽総三塚(Wikipediaより)

相楽は戊辰戦争前夜の、江戸周辺における挑発的テロ行為の中心人物としても暗躍している。武力討幕派の薩摩にとってみれば、当初は都合良く利用できるテロリストのひとりだったわけだ。しかし、結局は制御がきかなくなったために、「偽官軍」として切り捨てざるを得なくなったのである。暴走した相楽自身にも問題はあっただろうが、そうした人物を都合良く利用しようとした新政府軍にも責任があると言えよう。

ロッシュとパークス(ktymtskz.my.coocan.jpより))

新政府軍は英国公使パークスを通じて英国商人から兵器を買っていた。英国から輸入されたアームストロング砲は、新政府軍の強力な武器となった。一方、フランス公使ロッシュは幕府軍の支援に回った。米国での南北戦争が終結し、国際市場に兵器がだぶつきはじめたことも、各国の日本に対する武器輸出に拍車をかけた。欧米列強の軍需産業にとって、日本は格好の市場だったのである。

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