連載日本史176 戊辰戦争(4)
会津若松城の陥落から二日後には庄内藩も降伏し、奥羽越列藩同盟も解体した。最後に残った旧幕府勢力は、幕府海軍の軍艦で江戸を脱出し、箱館・五稜郭に立て籠もった榎本武揚らのグループである。元歩兵奉行の大鳥圭介や元新撰組副長の土方歳三など、百戦錬磨の強者たちを擁する五稜郭グループは新政府の箱館府を制圧し、松前藩と戦って蝦夷地を平定し、榎本を総裁として箱館政権を樹立した。だが結局は抵抗勢力の寄せ集め組織であり何よりも財政基盤が貧弱すぎた。それでも半年以上にわたって政権を維持し、新政府軍への抵抗を続けたのは旧幕臣としての最後の意地であったと言えよう。
中央では既に「明治」への改元が行われ、天皇の一世一元制も定められ、東京への天皇行幸も完了し、新たな政策が次々と打ち出されつつあった。そんな中で箱館五稜郭は旧時代にしがみつく最後の砦だったのだ。特に土方は最後の最後まで暴れまくった。新政府軍との戦闘で土方軍の死守していた二股口の戦いだけが旧幕府軍の連戦連勝であったが、他の戦線では新政府軍の圧倒的な戦力に押され、箱館政権軍は次第に追いつめられていった。1869年5月、新政府軍は箱館総攻撃を開始。激戦の中、土方は狙撃を受けて戦死する。新撰組の鬼の副長として恐れられた男の壮絶な最期であった。
土方の死の六日後、箱館政権は降伏し、鳥羽・伏見の戦いから一年半に及んだ戊辰戦争は遂に終結した。榎本や大鳥は投獄されたがその能力を買われ、後に新政府の要職に返り咲いている。旧幕府勢力には有能な人材が数多く残っていたわけで、その中のいくらかでも新政権に迎えることができたのは、明治政府にとって幸いであった。戊辰戦争は多くの犠牲を払ったが、それでも米国の南北戦争や中国の太平天国の乱などの同時代の内戦に比べれば、遥かに少ない損害で済んだのである。ただ、新政権の中核となった薩長出身者と、旧幕府軍の中心であった会津や東北諸藩の出身者とでは、その後の処遇に明らかな差があったようで、そうした確執は明治維新後も、日本政治の伏流として根強く残っていくのである。
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