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連載日本史230 満州事変(2)

犬養内閣の蔵相となった高橋是清は、早速、金輸出再禁止に踏み切った。浜口・井上ラインの金解禁から、わずか二年での決断であった。金本位制から離脱し、貨幣発行の自由度の高い管理通貨制度に移行することで、徹底した金融緩和と財政支出の増大による需要の創出によって、恐慌からの脱出を図ったのである。併せて公共土木事業による雇用促進や農村救済を図る時局匡救事業も実施した。

高橋財政(「世界の歴史まっぷ」より)

高橋の積極財政と金本位制からの離脱により、急激に円安が進んだことで、輸出産業は息を吹き返した。綿織物の輸出は英国を抜いて世界第一位となり日本はいち早く世界恐慌から脱出したが、国外ではソーシャル・ダンピングとの批判にさらされた。また、満州事変に続いて、1932年には日本海軍が陸戦隊を上海に上陸させて第一次上海事変を起こし、軍部の行動に引きずられる形で軍事費も膨張していった。

リットン調査団(www.y-history.netより)

満州では、関東軍司令部の主導で、新国家の建設が進んでいた。満州国は、執政の溥儀をはじめ、各部門のトップに満州人を配しながら、次長ポストや実務面の要職を日本人が占めることで実権を握る、事実上の傀儡国家であった。国際連盟から派遣されたリットン調査団は、満州国の実態を調査し、満州事変を正当な軍事行動とは認めず、満州国は独立国家として認められないという報告書を提出していた。犬養内閣も、満州国の承認には消極的であったという。公式な承認が得られないままに、既成事実だけが前のめりで進行していたのだ。

五・一五事件を報じた新聞記事(manareki.comより)

国内でのテロは続く。1932年には血盟団事件が起こった。井上日召の組織した一人一殺をスローガンとするテロ集団の血盟団が、井上準之助元蔵相と三井合名会社理事長の団琢磨を相次いで暗殺したのだ。同年五月には、大川周明から資金援助を受けた海軍青年将校と陸軍士官学校生徒らが、首相官邸・警視庁・内大臣邸・日本銀行を襲撃し、犬養毅首相を射殺するという五・一五事件が起こった。「話せばわかる」と対応した犬養首相に、犯人らは「問答無用」と銃弾を撃ち込んだそうだ。犬養首相の死によって護憲三派内閣以来の政党内閣は崩壊し、退役海軍大将で元朝鮮総督の斎藤実を首相とし、政党と軍部と貴族院の各勢力のバランスをとった挙国一致内閣が成立した。斎藤内閣は日満議定書で満州国を承認した。「満蒙は日本の生命線」として大陸での権益確保を叫んできた軍部の主張は、相次ぐテロを背景として、既成事実の追認という形で国策となったのである。

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