「麻雀は多くても4局に1回しかあがれないから、残り3回の守備が大事」の違和感

私は多分、初心者時代の麻雀の取り組み方が少し特殊な方だったのだと思う。
初心者の頃から、麻雀は知識ゲーだと思っていた。強くなるために大事なのは自分で考えないことだ。下手の考え休むに似たりという言葉がある。

自分が必死に考える部分は優れた教師や正しい知識を探して精査することまでで、そこまでたどり着いたら後はそれらの教えの言いなりになってプレイしてきた。
そういった環境を作るまでは大変(そもそも最初は誰が正しいことを言っているのかが分からない)だけど、環境ができれば人は自然と適応しようとする。そのレベルが当たり前になる。そうするといつの間にか強くなっていく。

どの打牌も自分の考えをもとにこうしたいと思ったことはなく、強いあの人なら、あの本をもとにするならどう打つだろうか、という観点で打っていた。
あの人と同じ選択ができればあの人と同じ強さに成れる。
であればひたすらコピーできるように頑張る。
もしも完璧にコピーできるようになったら、その先のことはコピー先の自分が考えるだろう。なぜならあの人は今も強いのに、これからも強くなろうとしているからだ。

積み重ねるうちに参考にする人や知識は増えた。
そのすべての調整役を自分がやっているだけで、基本スタンスは変わらず今も当時の延長線上にいる。
最近少し自分の思考や経験則が邪魔をしてきて困っているくらいだ。
それで楽しいのか?と言われると、まあ楽しいのだと思う。

そういうわけで、私はかなり知識に盲目的というか、自作の攻略とか研究とかアドリブみたいなものとは無縁のタイプだと思っている。

その中で、過去にタイトルの
「麻雀は多くても4局に1回しかあがれないから、残り3回の守備が大事」
これを教わったこともあるし、これを書いてある本にも出会ったことがある。

初心者の頃から、この理屈に物凄い違和感があった。
いや、守備が大事(そもそも大事って何をどの程度?という話は別にあるけど)だという結論は正しいと思う。

そこはいいのだけど、「麻雀は多くても4局に1回しかあがれないから」大事だというのは、全然理屈に合ってない気がしていた。
まるで麻雀の3/4は守備なのだから、1/4しかない攻撃の3倍大事!と言われているような気分になる。
ちなみにこれを信じる初心者も結構いると思っている。
でも実際は違う。

当時はこの違和感がなぜだか説明できなかった。
なんか違くない?と思っていたが、周りの強い人に聞いてもおかしくないと言っていたので自分の違和感がおかしいのだろうと流していた。
だけど最近ふとこのことを思い出して、今更ながらにこの違和感を言語化できたのでここに書いておく。

さて、麻雀を「攻撃しているとき」と「守備しているとき」の二つに分けてみる。
どういうときが「攻撃をしているとき」と言えるか。
これは「加点に向かっているとき」だ。
序盤の字牌切りも、効率的なイーシャンテンに構えようとする動きも、必要な牌を鳴いて手を進めるのも、リーチに対して押していくのも、形式テンパイを作ろうともがくのも、すべて「加点に向かっているとき」の行動だ。
これらの行動が攻撃にあたる。

では「守備しているとき」は?
それ以外の打牌全てだ。
オリ、回し打ち、アシスト、邪魔ポンなどなど、自分のあがりに向かってない選択はすべて守備としていいだろう。
自身のあがりを捨てて、少しでも減点を防ごうとする動きはまさに守備と言える。

さて、こうして定義したとき、半荘1回の全打牌の中で攻撃と守備のどちらの打牌が多くなるだろうか?
仮に1半荘が8局だとして考えてみよう。
1局は平均12巡で終わると仮定する。
そうすると、1半荘には96巡分の打牌機会があることになる。
計算を楽にするためにざっくり100巡として考えよう。

さて問題は、このうち25巡分が攻撃の打牌で、75巡分が守備の打牌になっているか?である。
もし本当にそうだとすると、8局で25巡分の攻撃=1局にで平均3巡分しか攻撃していないことになる。
これだと毎局3巡目までは手作りするけどそこでリーチが入ってしまって即ベタオリしているようなものだ。
体感的にもそんなことは有り得ないと分かる。
実際はもっと攻撃している。

しかし、プレイヤーの実際のアガリ率は25%弱程度だ。
というか長期で25%を維持していたらトップクラスに強い。
どんなに頑張っても4回に1回しかあがれないというのもまた正しい事実だ。

ここまで読んできた方はすでにお分かりだと思うが、4回に1回攻撃すればそれが必ず成功するわけではない。
冷静になれば当たり前だが、基本的には毎局攻撃しており、それが実際に成功するのが4回に1回だということだ。
例えば、7巡目くらいまでは攻撃し、リーチを受けベタオリするならそこからは守備、押し返すなら攻撃続行…みたいな局が平凡な局として思い浮かべるのではないだろうか。
この場合、守備ルートでも7巡は攻撃しているし、攻撃ルートならもっと攻撃している。
どれだけ悪く見積もっても、攻撃打牌が全打牌の25%になることはない。
ベタオリしかしてない、という印象の半荘でも、35~40%は攻撃しているだろう。
25%のあがり率の向こうには、それ以上のテンパイ率やイーシャンテン率があり、そこに向かう攻撃の打牌がある。
そういう意味では、4回に3回守備だからベタオリの方が大事!というのは誤りで、そもそも序盤~中盤は大体攻撃しているのだから牌効率の方が大事!という方が理にかなっている。

これ、あまりにも当たり前だろうと思う人もいると思う。
場合によっては教える側が詭弁だと分かった上で説得力を上げるために使っていることもあると思う(それ自体は悪いことではない)。
実際、今回は巡目の割合で考えたが、放銃に直結するという意味ではベタオリは大事だし、他の重み付けができるのであればいくらでも説明は変わる。

ただ今回の違和感のキモは「結果的に出ている数値(あがり率)だけから過程(守備をすることの方が多いのだからやったほうがいい)の攻略を説明しようとしている」ところだ。
これはほぼ結果論だ。麻雀で最も使ってはいけない考え方の一つだ。

今回の例だと極端で分かりやすいが、例えば個人の成績データを見て「放銃率が高いからオリを増やした方がいい」とか「トップ率が低いからリーチを増やした方がいい」とか、このくらいになるとそれなりの説得力を感じる人も多くなるだろう。
実際、こういった分析はよく見かける。

でも、実際には数値からそこまで単純な理由を見つけるのは難しい。
牌効率、押し引き、鳴き、リーチ判断など様々な要素が絡んで結果が出ているものだからだ。
それぞれの相関は勿論多少はあるだろうけど、単一の因果まで分かることはないし、結局のところ問題の抽出・改善のためには細かく牌譜を見たり、本人の思考や知識をしっかり理解するしかないと思ったりしている。

ちなみに個人的に雀魂の成績データで一番大事だと思っているのは「対戦数」だ。

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