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通勤途中の花壇に植えられたパンジー

朝、通勤途中にパンジーの植えられたレンガの花壇があった。
よく見ると霜柱はない。
毎日通るこの道で、このパンジーに目を止めたのは今日だけだったかもしれない。
ふ、と思った。自然を見て感動する目って、依存症で苦しんでた時にはあまり感じてなかったなあーて。

だけど、今でもそうなのかもしれない。
毎日が忙しくて、自分のことや次にやることばかりを考えて、周りになにがあるのかあまり気にしない。

都会に咲いてる花なんて、人の手によって植えられた飾りのようなものかもしれない。だけど、人の手によって綺麗に飾られた花かもしれないが、花も生きてるんだ。

当たり前のように花壇に咲く花。花壇に飾られた花が綺麗なのではない。花が私の心を癒してくれた。
今日もありがとう。土を見て霜柱はできてないか、自然に目を向ける時が与えられた。

駅に着いて、電車に乗り込む時にハクセキレイが前を歩いていた。

今日も一日が始まった。

[マタイの福音書 6:34]
明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

今日も一日心穏やかに、平和が築かれますように。

[マタイの福音書 6:25~34]
 ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。
なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。
ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。
これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

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