昔の自分じゃ考えられない
私は今、平日塗装業で働きながら、日曜日に開拓伝道を始めた水のほとりキリスト教会で毎週礼拝をささげている。イエス・キリストを信じる前では考えられないほど人生が変わってしまった。
目次
31歳のクリスマスに洗礼をうける
何度も紹介しているが、私は薬物依存症の当事者でした。
中学3年から二十歳になる2日前まで薬物乱用を繰り返してきました。
二十歳になる2日前までというのは三度目の逮捕をされて二度目の少年院に入ることになった時のことです。
医療少年院送致でした。
つまり私は身も心も壊れてしまっていました。
常に幻聴が聞こえている状態でした。
そこから薬物リハビリ施設(DARC)、精神病院を繰り返し12年間苦しんで、イエス・キリストを信じて救われたのが31歳の時でした。
イエス様を信じてすぐに生活が変わり、精神的病も回復したわけではありません。
それからも問題を起こして措置入院で精神病院に入院したりしました。
でもそこには助けてくれる人がいたから今の私があります。そしていつも目の前に聖書のみことばを置いて必ずやり直せるという確信を持って、がむしゃらに走ってきたというのが、いちばん表現に合っていると思います。
精神病院退院後、神学校へ。
そして在学中に念願の高卒認定試験合格!!
この間には本当に突っ走ってきました。
結婚したのもこの時期でした。
精神病院退院後、帰るあてがないのでケースワーカーが生活保護を申請してくれました。
入院中に新しいアパートを探し、なんとか退院し、退院後すぐにある出来事を通して、神学校へ行くことを決意しました。
(かなり割愛しますが、ここが私の新しいスタートです)
5月に退院し、6月には神学校に入学しました。
中学の時は、まともに教室で過ごしたこともなく、周りが高校受験と言ってる時に学校にも行っていなかったような私が、神学校の教室で聖書の学びが楽しくて、楽しくて仕方がありませんでした。
そこから、もしかしたらいけると思いダブルの勉強で高卒認定試験にもチャレンジしました。
実はこの間、私の背後には大いなる存在、主なるイエス・キリストだけではなく一人の女性の存在がありました。もちろん教会の牧師夫妻や恩師の存在などもありましたが。
この女性がのちに私の妻となってくれた方です。
いつも祈ってくれたり、話を聞いてくれる方々がいました。
私は、精神病院退院後1年以内に生活保護を切って仕事を始めました。
生活保護のままでいる理由もたくさんありました。
それにこれまでに2度も生活保護受給者の経験もありました。
自分の過去を振り返り、生活保護のままでいても妥当だと思います。
でもこの決断と同時に、妻との結婚へと導かれていきました。
私がここで言いたいのは、祈りと決断と確信です。
妻と結婚してから、生活保護受給よりも少ないお金でやりくりすることもありました。
生活保護の方が良かったと頭をかすめることもありました。
精神病院に入院してしまえば楽になれると思ったこともありました。
全てを投げ出して、あきらめたらあの頃の自分に戻れると思ったこともありました。
それでもやってこれたのは、このようなどん底にいた私をイエス・キリストが愛してくださり、こんな私のためにも十字架の身代わりの死で、罪赦されたものとなり、新しい命が与えられたからです。
それ以外にきっと私には理由がないでしょう。
いつも妻が陰で支えてくれていたり、二人の可愛い子供に恵まれたりいろんなギフトが与えられてきましたが、ここまで乗り越えてくることができたのは神様の子とされたからです。
現在
妻と始めた開拓伝道は4年目になりました。
昨年7月からメッセンジャーや賛美者が前に出て聖書のみことばを語るというスタイルから、みんなが輪になって礼拝を作り上げるスタイルに変わりました。
賛美も輪になって歌い、お互いに聖書箇所をシェアしたりします。
とてもフランクな一面もありますが、聖書に一人一人が向き合い神様との関係を大切にしながら、語れる場所を大事にしています。
定期的に牧師や伝道者を招いたり、顧問牧師の中野雄一郎先生が来られた時などには、みんなの前で聖書のみことばをメッセージしていただくスタイルで行うこともあります。
ひとりでも多くの方と出会い、聖書を通して分かち合い、どんな状況に生きていても、イエス・キリストのメッセージが一人ひとりに語られて、新しい明日が待っていると思います。
GOD BLESS YOU♪♪
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