Why Divorce Cases Involving Allegations Of Abuse Still Confound Family Courts 日本語訳1/4

虐待の訴えのある離婚事案が未だに裁判所にとって悩ましい理由
新法はほろ苦い別れと真に危険な事案を区別すること、女性と子どもを危険から遠ざけることを目的としている

あの夏の逃避行は一種の奇跡であった。
それは1997年のこと、ケイト(当時43歳)とルーク(当時3歳半)は、何年にもわたり、日に日にエスカレートする夫の感情的、精神的虐待にさらされながら生活してきた。5年にわたる結婚生活を経て、ケイトは夫が精神の健康を害して建設業者として働けなくくらいに悪化するところを見てきた。彼は、自分の妻を支配し、卑下することにひたすら没頭した。
ケイトはルークを連れて出て行った。しかし、状況は変わると約束するからとして戻ってくるようせっつかれた。それで、悪い方の選択をしてしまった。夫は家族を完全に支配することを要求するようになった。彼はケイトの携帯電話を監視し、車の鍵を取り上げ、毎日仕事場にケイトを送り迎えすると言って聞かなかった。彼はダラム地方の家の上層階を撤去し、修理のためと称して、何ヶ月にもわたって家族を未完成の地下で生活させた。くらくて狭く、驚くくらい低い位置であった。ひとつを除いて窓は全て塞がれていた。
「隔離することが目的だったのです。なんと恐ろしい。」ケイトは言う。そして、出て行かなければならないことを悟った。
ある夜、夫が煙草を買いに行っている間に、彼女は兄にコッソリ電話をかけた。翌日の午後、ケイトの夫はいつもの通りに出かけ、ケイトを職場に迎えに行って、ルークを後部座席に乗せた。ケイトの兄が少し距離を取って後ろを追尾していることには気付いていなかった。夫が車を車道に止めると、慶人の兄は車でその後ろに乗り付け、車から降りてケイトの夫を物理的にブロックし、ケイトがルークを後部座席から引き寄せて、兄のトラックに急いで乗り込むための時間を稼いだ。
夫は車に飛び乗り、ケイトらを追いかけた。夫は、ケイトがあらかじめ探していたDVシェルターにたどり着くまでの間、にげるケイトを追い回した。
その夜、警察が夫をシェルターの敷地から退去させた。しかし、後日、ケイトは警察から、次回夫が現れても警察は何もできない。夫には自分の息子に会う法的な権利があるからと告げられた。
この追跡劇の7日後、ケイトは自分が洞窟のような裁判所の待合室で、仲違いをした夫と僅か数フィートの距離を空けて座っていることに気がついた。夫はケイトに近づこうとしていた。双方の代理人が離婚の条件を交渉している間、数時間にわたってケイトはそこに座っていた。
ケイトは代理人弁護士に全てを話した。精神的、感情的な虐待がいかにつらいものであったか、そして、夫は精神的な疾患を抱えており、治療が必要だと信じていることである。また彼女は身の安全に関する懸念についても共有した。つまり、ルークの単独親権を希望していること、夫がルークを訪問することについては、監督がなされるべきことである。法律事務所にいながら、聞いていたが、裁判所に行っても、モヤモヤするばかりで事態が進展しないと感じていた。
長丁場のあるとき、ケイトは代理人弁護士から、面会交流の際の監督を諦める代わりに、単独親権に同意するよう交渉するのはどうかと提案された。ケイトはこれを断り、裁判所の判断を仰ぎたいと言った。代理人弁護士は、それは最善の方法ではないと思っており、ケイトに対し、そのような態度は敵対的に移るので、あなたのためにならないですよと言った。ケイトは、「私は怖かったんです」といった。譲歩しなければルークの親権を完全に失ってしまうと考え「サインをしました」。
翌日、ケイトはルークを連れてマクドナルドの駐車場にいた。そこでケイトは、息子が父親から歩いて逃げるのを目撃した。数時間も経たないうちに、ルークは死んだ。息子を殺し、家に火を付けて、夫は自殺した。
現在60代後半になるケイトは、一度も再婚せず、子どももいない。当時について語ることは未だに身体に応える経験であり、今でも胃がキリキリ痛む。今でも鮮やかに、相手の代理人弁護士が、ルークの葬式の際に会葬者の中にいたことを覚えている。「あれは私が8年お付き合いした男ではなかった」と、弁護士はケイトに向かっていった。ケイトは、弁護士が自分に会いに来たのは勇気のいることだっただろうと思ったものの、ケイトも何か弁護士に言ってやりたかった。「あれは8年一緒に暮らした男ではありませんでした。そして、だれも私の言うことに耳を傾けてくれなかったのです」と返答した。

続きは後日。


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