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先祖の推し活に付き合ってみた

こんにちは。

きのこです。

ご訪問いただきありがとうございます^^



先祖が源氏側だったらしいという話を聞いた夏

昨年のお盆に父方の祖母の生家へ行った時、

先祖は源氏の武士として戦った

という文書が残っている、という話を聞きました。

田舎の昔話なので、【戦った】がどこまでをいうのか分からないけど、とにかく源氏側だったらしい。


その後、いろいろな方面から大三島にある大山祇神社のことを知り、何か引っかかったので調べてみたら、大山祇神社にある国宝館には源氏のお宝があってそれを公開してるとのこと。

今まで日本史にはさほど興味無かったのだけど(あっても幕末の話)、なんとなく、これは見てみたいと思い先日行ってきました。

これはきっとあれだ

先祖の推し活に付き合わされている

なんとなく、そう感じました。

きっと先祖は源氏側の末端の末端で、義経様や頼朝様のお顔も拝見したことなどなく、話だけを聞いて スキィ!! となっていたのではないだろうか。

なんのご縁か岡山に嫁いだ子孫の体を借りて推しの御大刀や御甲冑を観に行きたい!!と思ったのではないか。


私にはそう思えてならないのです。

だって私自身は鎌倉時代に興味無かったから。

…いや、今これを書いていて思い出したけど、私中学生か小学生の頃、頼朝の顔がタイプだ、とか言ってたな。。

すっかり忘れてたけど。何そういうこと?


国宝館は写真撮影禁止でしたが、
入って右手に目に入ってきた刀?大太刀?薙刀?の妖気はすごかった。

その瞬間、先祖がサイリウムを振り回したような気がしました。義経様♡と書かれたうちわもパタパタ。


甲冑の凝った作り、身長より長い太刀、昔の人って身体は今より小柄なはずなのに凄いものを身につけ振り回していたのだなと、ゾクゾクしました。

先祖の興奮具合はさておき、武具というのは見ているこちらも身が引き締まります。

戦を繰り返してきた歴史を学べば、人が人を殺す戦などはあってはならないと当然に思います。

その時代の最中を生きていた人も家族や友人が戦で命を落とすことなど望んだいなかっただろうに。

大義とは今でいう推し活のように希望でもありその興奮故に残酷な結果をもたらすものでもあったのだろうなと感じます。


何故人は戦うのでしょうか。


以上、私の妄想と現実が入り混じった大山祇神社にある国宝館レポート。

ご先祖よ、満足したか?

今年は年柱が半会してて。
こういう先祖絡みの妄想が捗るのはその影響もあるのかなって思ったりしてます🌳🐭🐲


きのこ


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