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陸上競技場で走ることになっているような気がする

今になっても時々、陸上競技場でアップを始めなければいけないのに部屋でじっと座っているような気がする。

 私が陸上競技を始めたのは15歳の時だった。中学の時に好きだった人が長距離の選手をしていたこと、その人や他の運動部の人たちに世界がどう見えているのか知りたかったこと、生まれついた体格へのうぬぼれが動機だった。

 19時頃には点いていた競技場のナイターや互いの顔がよく見えない暗いトラックの脇、いつまでも続く先輩達のお喋りや土曜の朝に体が合わなかった感覚は奇妙なほど鮮明に思い出せる。

 短距離選手の練習する量は決まっていて、トラックの一定の長さだけを使う。だから次のスタート地点までは隅の緑の部分を歩くか、トラックを分割して一周することになる。移動や準備の時間に部員はよく喋る。準備体操の際立って長いアキレス腱伸ばしの間に先輩は元彼の乳首の話をする。そこには社会がある。

 会話の中で陸上は個人競技でしょうとしばしば言われるが、陸上部の短距離の練習風景は普通の運動部と変わらない。加えてリレーはチームスポーツだ。400mを四分割して走るため、最初の人が使ったスターティングブロック(下の画像のやつ)は第4走者がゴールする前に脇によける必要がある。リレーに出ない私はそういう係をやっていた。

黄色いナンバーのやつ。間近で見るとでかくて重い

  同じ種目の女子は私が不安になるほど明るく親切だった。彼女たちの気配りのスピードは速く、他の人が既に人助けをしている所にも割り込んで「やらせてください!」と言い、道具を横から取る。私は部活の中で人の役に立った経験が一度もない。 心から片付けをしたいと願わなければハードルを持つこともできないため、笑顔で道具をぶんどる彼女たちはすさまじく徳が高いなあ、自分とは違う形に生まれたのだろうと諦めていたが、私もそうしないといけなかったのかもしれない。

運動部の陰キャを見たことがあるだろうか。

 運動部の陰キャは余暇がないために無趣味かつ孤独であり、何かしらのコンテンツに浸かってオタク友達もいる文化部の陰キャより生きるのが難しい。いわゆる"無キャ"に近い。進学校と運動部の活動を両立させることに疲弊した15、6の子供を個性が無いなんて言わなくてもいいじゃないかとも思う。

 私は声が小さいため騒がしい教室ではろくに聞き取って貰えず、近視用の眼鏡で歪んだ小さい目が滑稽に思われることを恐れて人と目を合わせられなかった。進学校の授業からも取り残され、教室では息を潜めた。

 昼休みは図書室で小説『コーヒーが冷めないうちに』を読んだり、数学の問題集をちっとも分からないのに解いたりしていた。ある日すれ違った生徒たちが「昼休みに図書室でチャートやってるの陰キャやんw」と話すのを聞いてからは人の少ないトイレでチェンソーマンを読んだり、短歌のSNSをしていた。友人が一人も居ないまま高校の最初の一年が終わった。

 陸上部内では下から一〜二番目のタイムをキープし、同じ種目の女子5人のうち(2人・2人・1人)の1人になっているか、変わり者として気まぐれにインタビューされるかのどちらかだった。入部して5ヶ月経った辺りでとある女子から仄かに態度で友人としての信頼を示して貰えるようになった。友人が居るとハードな練習がずいぶん楽にこなせるようになった。

彼女が私を友人に選んだ理由は他の部員が怪我で長期間休むか、あるいは他種目に引っ張られるかして同じ種目の女子がその人と私の二人だけになったことだ。速筋でガチガチの男子や明るい先輩ばかりの30人足らずの集団では、無口な彼女や練習についていくのがやっとな私にとって”友人がいる”という状態が生きやすさに直結していた。
私が部活を辞めてから彼女とは疎遠になった。友人関係はアウェーな状況に対する連帯であり、その外では効力が無くなる。美しい。


 彼女たちはマナー違反にシビアだ。気づくと静かに非難されている。身の程をわきまえない言動が失礼なことは言うまでもなく、「気を遣っている」と悟らせること自体タブーだ。打ち解け、かつ本心が結果的に好ましいものでなくてはいけない。

のちに進学した都心の私立大学ではそのような女子が多数を占め、あれは社会人らしさだったのかと納得した。何度も返答を間違え、異質なものだったはずの私を許容してくれた彼女たちに感謝している。

はじめて自分で作ったお弁当

声が小さく会話ができない高校一年生の私が他者と交流できた唯一の機会は書いた文章を読んでもらうことで、本の紹介文を書く課題や読書感想文、テーマフリーの英語の創作発表、連作小説で私はピカイチだった。作者を隠した投票ではたいてい一位で、回し読みをしたときの同級生の反応は感嘆する、真剣に検討する、うっすら勘違いをするなど様々だったが、声の小ささで三回聞き返されずに自分の考えを伝えられたという点で私にとってエポックだった。思うに孤独だった。

いつも恥ずかしかった。友達が居ないから自分のどこが変なのか分からず、毎回何かで間違えていた。自分がつまらなくて努力不足だから友達が居ないのだと思っていた。
むやみに偏差値の高い大学を目指し、整形したいとこぼし、口を開いてはどうせ聞こえないと諦めていた自分が痛いほどに求めていたのは他者との繋がりと承認だった。私は15歳の不安で死にそうな彼女を抱きしめたいし、いくらでも話を聞かせてほしいと思う。しかし彼女はプライドが高いため、この将来は受け入れてくれないだろう。

 大人になった自分は相変わらず友達が少ないが、小説を書いたり自分はロリだと暗示を掛けたりしてまずまず楽しく生活している。最近初めてBLを書いた。理想には程遠いため、これからも書いていきたい。

ところで17歳の時には恋に落ちて詩を作っている。ちゃんと青春してるじゃないか。

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