みずのさんのノオト:飛び出し看板

横断歩道を中心に置かれている、子供の飛び出し看板。
飛び出しくん、飛び出し坊や、などと呼ばれているアレ、その起源は滋賀県の『とび太くん』という説がある。
設置した側からすれば、ここから子供が飛び出すかも知れないよ、という注意喚起の意味があると思うが、あれは、本当に正しいんだろうか?

例えば横断歩道。
ドライバーは、横断歩道に差し掛かる時、横断する人やしようとしている人がいないか確認するわけだが、横断歩道の数に対して、実際に歩行者が渡る割合は、かなり少ない。
結果的に、多くのドライバーが、まぁ、こんなものかと安全確認が軽めになるのも理解出来る。
挙げ句に、飛び出し看板だ。
注意深く見るならまだしも、軽めの安全確認が身についているドライバーは、そこに何かあっても「いつもの看板」と思うだろう。
もちろん、安全運転の観点で、確認を怠るドライバーに非があるのは否めないが、いつも通る場所、いつも通る横断歩道での注意喚起が必要なのは『いつもと違う』がすぐに分かることではないか?

もし、あの看板がなければ、いや、むしろ、横断歩道の周り数メートルには、物を置いてはならない、というルールになったらどうだろうか。
明らかに見通しの良くなった横断歩道付近、そこに人が立っていれば、すぐに分かる筈だ。
だが、景観美観と称して街路樹を植え、まるで、横断者を隠すかのようにしている横断歩道付近、挙げ句に、常設される立て看板だ。
歩いているなら分かるが、時速30キロの低速であっても、瞬時に判断するのは難しいのではないか?
横断歩道付近には何も置くな、というルール案が、見当外れだとは思わないが、如何だろうか?

ああいった立て看板は、交通安全ポスターや標語と同様、地域の子供らにもやらせやすく、何らかの形で意識を高める、という効果が期待出来るかも知れないが、いくら、弱者側がそうしたところで、運転者の判断を鈍らせては、意味がないのではないかとすら思う。
残念なことに交通事故の多くが、自宅付近で起きているという。
自宅付近は、日常に戻る場所だ。
日常的に交通事故が起きるような人生を送っているならまだしも、多くの人にとって、いつもの安全な日常ではないか。
だから、ドライバーも歩行者も気が緩み、事故に至るのではなかろうか。

良かれと思って立て看板の設置をしており、そういう善行を無下に否定するのは悪いこととされるが、意味のない善行を擁護して痛い思いをするのは、歩行者の方じゃないか。
ルールやマナーを守らないドライバーに問題があり、いくら、歩行者側が法的に正しかろうが、痛い思いをしてまで、その正当性を体感する必要があろうか。
信号の赤や青が統一されているように、横断歩道周りには、何も置かれていないのが当たり前、という状況を統一できないか。

公的に影響がある自己満足は善行に分類すべきではない。

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