みずのさんのノオト:人は道具に感謝しない

物々しいタイトルだが、この場合の道具とは、実体のある道具であったり、システム系のツールであったり、何らかの手助けをしてくれるもの全般を指す。

基本的に、人は道具に感謝しないのだ。

何を言っているんだ?役に立つものに感謝することはあるじゃないかとの反論は、至極当然である。
かく言う自分も、これが全てに当てはまるとは思っていない。
限定的に言うならば、祈るか諦めるかしかない状況で手にした道具は例外だ。

例えば、何らかの偶然で無人島に流され、火を起こすこともままならない状況で、偶然ポケットに入っていたライターに対して。
もしくは、唐突にドラゴンが眼の前に現れ、状況が分からないまま見渡したら、たまたま、そこに落ちていた一撃必殺の勇者の剣に対して。そういう状況下では、これがあって助かった、と思うだろう。

いや、便利な道具を提供したら、ツールをリリースしたら、さすがに感謝するよね?
そう思うかも知れない。
しかし、人は、自分が思いつかなかった道具でさえも、基礎的な知識・学力があれば、いや、むしろ、レベルの低いヤツほど、こう言うだろう。
「なるほど、そういう仕組みか。これは便利だ。」
と。

そう、よほど決定的な道具でない限り、あたかも、オレも少し考えれば出来たよ、これ、という評論家のような態度を取り、必然的にマウントを取られるのを避けるのだ。
評論という、ロクな努力もなしに口先だけで対等の立場に立てる手法が確立されてから、評論家だの批評家だのが世に溢れている。
これは自己防衛的な何かだろうか。
よく分からないが、人はありきたりの道具には感謝しないのだ。

ああ、もう1つ例外があった。
比較的レアな、高額な、もしくは、そう思えるような道具がタダで提供されたとき、非常に大袈裟に感謝する。
「うわっ、ありがとう!!!」
実のところ、これは先程のマウントの理屈と同じで、大袈裟に礼を言うことで、「おまえ、よく頑張ったな」ということを主張しているのかも知れない。
下手したら、王様か殿様の気分で「褒めてつかわす」と思っているかも知れない。
いや、考えすぎかも知れないが、どちらにしろ、この場合、その謝意は、道具に対してではなく、タダで提供されたことに向けられているのは確かだろう。

そう考えると、システム部門が便利なツールを出したところで、喜ばれないというのは当たり前なのだ。
特に、今までと、多少でも操作の違うものが提供されれば文句しか言わず、感謝を口にする人など皆無だ。
挙げ句、慣れて実は便利だと気づいた頃には、その道具は当たり前の日常になっているので、誰も感謝しないどころか、当たり前の顔をして使っている。
そもそも、便利だと気づかない。
下手したら、使いこなしてるオレ、エラい、とすら思うかも知れない。
そして、何らかの障害で使えなくなった時に文句だけは立派に言うのだ。

システム部門は褒められない。

もちろん、褒められることを目的として働いていないから、ある意味、それを求めること自体、ちょっと方向違いだろう。
一方で、ユーザー会のような横のつながりが強い会合では、同じ苦労をしている人が集まるので、自然と言っていることの意味や背景が分かり、それらが共感となり、もしくは、結果に対する敬意となり、必然的に盛り上がる、もしくは結束が生まれる。

ユーザー会は、下手したらライバル企業の担当者が出ているかも知れない。
また、自社のお客様に当たる人々が出ているかも知れない。
しかし、そういう関係とは無関係に盛り上がる。
ある種、不思議な空間だ。

神足裕司氏のコラムで神田の古本屋街のことを書いたものがある。
探しもの、分からない本があるなら、そこらの店に入って聞いてみればいい。
どこに何があるか教えてくれる。
商売敵なんて言ってちゃ、ここで商売はできない。この街のオヤジたちが蓄えた膨大な知識がすごい、といった内容だ。

これは、ユーザー会にも言えることじゃなかろうか。
誰も教えてくれないどころか、興味すら持たない社内で一緒に考えてくれる人など皆無の状態で、ユーザー会とやらで訪ねたら、秒で適切な回答が届いたとか、珍しくない話だろう。
どこの誰かは知らないがありがとう、などと思っていると、じゃあ、私からは参考になる記事のURLを、じゃあ、私からはサンプルコードを、と。
まるで、タダで道具を貰ったときのように大袈裟に感謝したいが、その実、この状況は勇者の剣の方なのだ。
八方塞がりの状態を救うどころか、治療薬やらマップやら、次々と差し入れられる。
なるほど、ユーザー会に参加して人生が変わった、と表現する人もあるが、あながち大袈裟でもない。

何か、ユーザーの悪口を言っているだけのように聞こえるが、人は誰しも、日常的にそうじゃなかろうか。
毎日通勤に使っている自動車に対して、誰が毎日、感謝するだろうか。
電車は会社まで運んでくれる便利な道具!などと思う人はない。
運賃という対価を払って、おれは対等なのだと思い込み、遅延が発生すれば憤慨する。
人は道具に感謝しないから、もったいないオバケは姿を消し、付喪神の意味され理解しなくなった。
物の怪の類は、人に認識されてこそ、世の中に実体として存在できうるので、おそらく、まぁ、ほとんど絶滅しただろう。
挙げ句に、サスティナビリティと称する、継続的に安定的に物資を消費し続けるだけのアホくさい金儲けに踊らされる始末。
それで人口が減少しているんだから、人類とは、太り続けるシロアリのような種族かも知れない。

かくいう自分も、そんなシロアリデブの一派なので、何も言うことはない。
ただ、別に変な宗教の感化された訳でもなく、法に触れるような薬物を摂取しているわけでもなく、ましてや、三流の日本語ラッパーにジョブチェンジした訳でもないが、感謝を忘れないでね、と言いたい。
物に溢れ、物に不自由しなくなったからこそ、すべてを当たり前だと思いすぎちゃいませんか。
むしろ、古い道具をずっと使っているのを「コスパが悪い」「100均で買える」と嘲笑う時代なんですけどね。
昭和のオッサンは時代について行けないなぁ。

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