みずのさんノオト:あなたの仕事、子供に語れますか?

DXは難しい。
肌感覚ではなく、世に出回っているDX事例も、単なるデジタル化だったりするものが混じっていることを思うと、難しいのだろう。

そりゃそうだ。
ある日、DXの名の下に「それ仕事じゃないから」と否定される訳ですよ。
何らかの悪いことをしているのなら、よほどの悪人でもない限り、微塵の良心の呵責とやらがあるわけで、できれば止めたい、と思うかも知れないが、DXによって否定される『わたしの仕事』は、これまでやってきた当たり前のこと。
それで給料をもらっているのだから、どうして否定されなきゃならないのか、と思われて当然だろう。

そもそも、その『仕事』って何だろう?
システム導入の前段階で行われるような、職場のヒアリングにそのヒントがある。

業務システムが導入されて久しく、曲がりなりにも、それがある前提で日常的な業務が回っているような事務所のような区画。
ここでの業務を知るために「この中で、一番、業務に詳しい方は誰ですか?」と問うと、多くの場合、指名されるのが事務職の人とかパートのおばちゃんとか。
この男女平等の時代にパートのおばちゃんという表現は如何なものか、という批判は甘んじて受けるが、イメージ的には分かりやすいじゃん。
で、その「一番業務に詳しい人」に話を聞くと、自信満々答えてくれる。
「伝票が届いたら、ここを押して、この画面のここに入力する。そして、ここを押して完了。」
「なるほど、こういう場合はどうするんですか?」
「それは、ここを押して、ここから選ぶの。」
「これの部分、これはどういう意味ですか?」
「分からない。」

これは、業務の説明ではなく、作業の説明だ。
おそらく、それは『仕事』としてずっと行ってきたので、彼らの中に、何の疑いもないだろう。
それどころか、そこの責任者が「ほら、詳しいでしょう?」などと見当違いのフォローまですることもある。
何をやっているかは分からない、でも、作業は分かる。

それが、『仕事』の実態ではなかろうか。

もちろん、それは否定しない。
業務目的のため、何らかの作業をする必要があり、それが人手に頼るしかない場合、それ以外の選択肢は難しいだろう。
だから、彼らがやっていることは誤りではない。
だが、DXに必要な『それは全体で見たら無駄なので無くす方向で考えています』という話を受け入れるに土壌ではない。
だって、全体のことなんて誰も理解せず手を動かしているんでしょ?

DXはトップダウンであるべきだ。

これは、まっとうな解決法の1つだが、これが必須条件であるかのように宣伝するのはちょっと違うと思う。
少なくとも、カイシャの中で「その仕事は無駄なので」と言えるのは誰か、と考えた場合の選択肢が『トップ』である、というのが一般的な話であるだけで、すべてのカイシャでそうなっている訳じゃなかろう。

全員が目的を理解しボトムアップで進める。

こちらも、必須条件ではない。
もちろん、個々の従業員が、その目的を理解しているのなら改革への近道になろうと思うが、どれくらいの人が議論の末に行き着いた「じゃあ、この仕事はムダ仕事だし、他に人手が必要な部署もないので、人を減らすしかないじゃないか」という結論に従い、潔くカイシャを辞めるのか、って話。
子供も小さいし、住宅ローンもあるんだぞ、という生々しい声まで考えれば、よっぽど、各部門の業務効率化を進めてもらった方が平和になる。

何の話だっけ。
そうそう、DXだ。

要するに、従業員に『これはムダ仕事だ』ということを受け入れさせることがDXの第一歩だと思っている。
そして、それが一番難しいから停滞しているとも思っている。
それぞれの持っている仕事感を否定することが難しいからだ。

では、書類作成に長けた人、画面入力の長けた人、それぞれが仕事だと思っていることを子供に説明できますか?と言いたい。

「お父さんの仕事は、ワープロを上手に使うことだ」
「お母さんの仕事は、伝票を見て画面に入力することよ」

で、お父さんは何をやる人なの?

「みんな、上手に文章を作れないから、代わりにお父さんがやっているんだ」
「受注システムの操作を覚えない人が多いからねぇ」

お父さんのカイシャ、ダメな人ばかり何だねぇ。
ワープロ上手のお父さん、スゴイなぁ!

「ああ、うん… 」

事務仕事は、その実、事務の作業であって、今の時点では必要かも知れないが、それは未来永劫必須であり続ける作業ではない。
もちろん、これが昭和の時間の流れ方であれば、書類作成の職人として定年を迎えるのもありだろう。
しかし、日進月歩どころか、朝起きたら未来だった、と思わせるレベルに技術が進歩している中で、それは通用しない。
いや、そういう時代だから見直しましょう、それがDXってヤツでっせ、という事になっているのだ。
そして、そんな、この子供に説明ができないような単純作業は、AIやRPAとやらに丸投げできるだけの技術なので、安心して『オレの今までの仕事』を止めちゃってください。

とは言うものの、だから直ちに、その無駄な作業を捨ててDXの名の下に意識改革せよ、などと早とちりするトップダウン様があるから話が面倒くさい。

『今まで1日かけて作業していたことが、DXとやらで半分の時間で済むようになりました』となった場合、どれだけのトップが「じゃあ、昼で帰っていいよ」と判断するだろうか。
もちろん、そこに「昼で帰っていいよ、給料は半分に減るけど」は含まない。
多くの場合「昼から空いたね、じゃあ、この仕事をやってよ」と追加されるがオチだろう。
『2倍の仕事が出来るようになった。生産性向上、素晴らしいね』と思うトップの方の気持ちは分かるが、働く側からすれば「2倍働いて、給料2倍になる?」って話じゃないか。
「だったら、今まで通り、手作業で1日潰しますよ」と思う人を責める気にはなれない。

子供に説明できない仕事のナンバーワンは『会社員』だと思っている。
でもこれ、単に所属を表す単語じゃないですか?
しかし、実態が『何か決まった作業はあるものの、それ以外も色々と片付ける、定時内作業員』だから、『会社員』が通用する。

会社員という時間労働作業員が通用するのは、日本のように義務教育のレベルが高く、突出した天才を生み出すことは苦手だが、よっぽどの馬鹿が存在しない、という特殊な事情にある。
統計屋だの経済評論家みたいなのは、都合が良い数字を集めて主張する商売なので、もしかしたら一般社会で通用している認識とずれがあるかも知れないが、識字率1つにしても、読み書きが出来て当たり前だから、それぞれの考えで作業が出来る訳で、そういう事情を理解すれば、そうじゃない国の雇用と一概に比べるには無理があるじゃんね。

そんな世界でも特殊な日本の会社員、その生産性が向上したら、それだけ給料が上がるの?という話になるが、どうも、時間労働作業員の定時は短縮されないし、そこで支払われる対価も大きく変わらないのが、一般的なようだ。
生産性が2倍に上がって、2倍の売上になるような会社もあろうが、生産性が上がっても、そこまで売上は上がらないよ、というところも少なくないだろう。
経営的には、売り上げが少し上がって、生産性向上で残業が減ったから、実質、利益が増えた、という話になる訳で、そこで支払われる対価が『これまでどおりの給料』であるなら、得をするのは誰でしょうね、という話になる。

簡単にDX、DXとい言っているが、その実、解決すべき課題は少なくない。
DXという単語を使いたがっているIT業界だって、すべてが先進的ではなく、単純にDXという単語を添えて商売をしているだけであることを理解すべきだろう。
少なくとも、色々な会社があり、色々な雇用形態があるんだから、そこで行われるDXは、十人十色であるべきじゃなかろうか。

ウチもDXを進めるぞ、じゃない、ウチのDXはこれだ、を打ち出せ。




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