読書メモ3:「死の講義」 橋爪大三郎

 久々の投稿です。

色々とガジェットを整え、メモが取りやすくなりました。今年は少し積極的に投稿していきたいなと考えております。

さて、新年早々なかなかに重いタイトルの本書。

著者はご高名な橋爪大三郎先生なので、本屋さんで見たことのある人も多いかと思います。

本書は、一見すると「死」そのものについて、いろいろな宗教がどのように捉えているのかを、とても噛みくだいて、わかりやすく解説した本です。

その目的は「死」について知ることで、「よりよく生きるため」だとのことです。

内容については、ざっくり、第1章で科学の世界からは自らの死を認識することはできないことを指摘し、哲学や宗教の世界で論じるしかないことを説明した上で、第2章で一神教の視点からの死を、第3章でインドの文明(ヒンドゥー教や仏教など)の視点からの死を、第4章で中国文明の視点からの死を、そして第5章で日本人の文化の視点からの死を解説し、第5章で死について自分で考える、その考え方を解説してくれます。

本書に込められた作者のメッセージは、いわゆる「価値相対主義」に対する危機感ではないかと思います。これは、第5章で記述されていますが、

「相対主義は、ものわかりがよい。でも、問題を解決しない。」(p253)

というもっともな指摘からも感じ取れます。「死」という誰もに訪れるが故に、誰もが他人事として接するわけにはいかないテーマを取り扱うことで、「いろいろな考え方がありますね」で終わらせることを拒否しているのです。つまり、「あなたはどう考えるのですか」ということに答えを出すことが求められていると言えるでしょう。

相対主義は、他者への寛容を導き出す点で、とても便利な考え方です。自分は自分、他人は他人、いろいろな考え方があって良い。自分の考え方を他人に押し付けることも必要ない。考え方はたくさんあっていいからです。

ですが、相対主義がいきすぎて、自分の考え方自体を持てなくなっているのではないか。「いろいろな考え方があります」だけでは、自分の考えにたどり着けない。「私はこう考えます」というところまで辿り着かなければならないのです。
加えて、現代社会は「論理的」であることに対して特別な意義を見出し、論理的思考力を鍛えれば、答えが出せるかのように勘違いしている人が多いように思います。
もちろん、論理的思考によって回答を導き出せる問題もあるし、そのように解決すべき問題もたくさんあります。
しかし、それだけでは答えを導き出せない問題の方が、おそらく圧倒的にたくさんあるのです。

「どう生きるか」

は、そうした問題の最たるものでしょう。


本書は、「死」をテーマに、読者が「死」についてどのように考えるのか、自分なりの答えを出すことを促しています。
そして、上述の通り、本書は「よりよく生きるため」に、「死」について考えさせている本です。
つまり、読者が、「より良く生きるため」に、答えのない問題に答えを出すための訓練をさせているのです。

本書は、これを読んでいる間に、死について考え、それに対する多様な考え方を学んでいると思っていたら、実は相対主義を乗り越え、自分だけの価値を自分の中に持ち、「より良く生きる」ことを実践させられている、という驚くべき本です。
「死」という困難な問題について、それに対する考え方を学び、自分なりの答えを出すことができたのであれば、その他の様々な問題においても、自分なりの答えを出すことはきっとできるはずです。「よりよく生きる」ためには、いろいろな問題に、自分なりの答えを出し、自分だけの人生(価値)を生きる必要があるのです。
ぜひ読んでみて、皆様も自分だけの価値を見出すための、その方法の一つを学んでもらえればと思います。


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