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果てなきNikonへの夢

仕事で使ったNikonはさておく。
F3、F6、D1、D2x、D200、D300なんてのを仕事で使った。D5も使った。

個人で最初に手にしたのはF3HPだった。
実際すごいカメラだった。
MFカメラとしては洗練されてたし、ミスショットも格段に減った。
電池がどこでも手に入った(モードラ付けてた)のも大きい。
電気屋に行かないと手に入らん電池じゃ意味ないw
しかも高いw
取材に出ると出ずっぱりってことも多いので、消耗品はどこでも手に入る物がいい。
F3に関しては仕事でも使っていたので随分育てて貰ったと思っている。
土砂降りの中、吹雪の中、猛暑の中、いつでも寸分疑いなく動いてくれた最強のカメラだったのは間違いない。予備機として持ってたが随分、使ってた。まだデジタルに慣れず、主流になるのかわからない頃だった。自分が配属された部署の人間はみんな自分の信じてるフイルムカメラを一台必ず持っていた。ライカM3やM4、M6なんかの王道ライカ。NikonSPやNikonF、NikonF2なんかの報道のNikonを作った名機を持ってる人もいた。
そこで、憧れたのがお師さんが持っていたNikonF2フォトミックだった。

お師さんのF2は1979年3月〜6月製造のブラックボディだ7932062がその中でどの程度の順番かはわからないが、今もシャッタースピードのブレもないあたり、Nikonの技術がすげぇんだなぁと思う。
お師さんは一度、ファインダーを変えたと言っていた。違うフォトミックファインダーをつけていたらしいが、使いやすいってんでただのフォトミックにしたらしい。
そして、どこで買ったかは聞いていないが、当時新品で買ったんだとか。
50mmのf1.4 NIKKOR–S Autoがついていた。むしろそれ以外がついてるのを見た事がない。
お師さんは28-70のズーム、85、35の単焦点を基本のセットにしていた。時折105も持っていた。あまり多くのレンズを持つ事をよしとしない人で、いつもレンズをつけた時のバランスを気にしていた。確かに超時間振り回すならバランスは重要だったかもしれない。けど、下っ端には関係ないw
話が逸れた。
お師さんが言うには「NikonF2には50mmが似合う。だからコイツ(F2)には50だけでいいんだ。」とのこと。いやさ、実際問題、普段使ってて50mmあれば十分ではあるけど。時々、もう少し広い画角が欲しいと思う時もあるけど、まぁ欲求は際限ないもんだ。
譲り受けてからもF2には50mm以外をつけた事ない。
清掃、メンテナンスでバラすこともあるけど、基本的には50mmをつけたままだ。どうせ50mm以上必要なら別のカメラを使うからいい。
F3よりは色々と足りていない機能もあるんだろうけど、個人的に使っている分には全く問題ない。むしろまだ機能が多くあると思う。勘というか、技能が要らないカメラだと思う。ノスタルジーというのか。懐古主義じゃないかな?
まぁなんと言おうと構わないが、結果、譲り受けた。随分、塗装も剥がれ、アタリもあるが、今後も使うであろう。

機能が多いのなんの。
銀座で見かけたNikonS3を俺は忘れない。
オリンピックモデル新品未使用とかそんな謳い文句で陳列されてたと思う。
カメラの値段じゃなかった。
200万くらいしてた気がする。もうなかったから誰か買ったんだろう。
あれから十余年。
NikonS2のブラックペイントと出会った。相場より10〜15万くらい安くして貰った。
いつも世話になっていたカメラ屋が閉店するにあたり、オヤジが抱え込んでいたお宝だった。50mmのf2がついていた。元から相場より安かった訳ではない。いつも相場通りの金額が張られていた。がある日、帰り際に
「いくらで売ってくれる?額によっては買うよ?」
と言ってしまった。完全な出来心だ。魔が差したとも言える。完全に魔が差した。
いや閉店セールやるって言ってたから安くなるとは思ってたんだ。だから、聞いてしまった。まだ価格の改定はされてなかったけど!常連だから教えてくれるかなって!

結果として教えてくれたよ。

その足で銀行に行ったさ。
ATMで下ろせる額じゃなかったんだ。
口座の残高が数千円になってしまった。
まだフイルム一本しか通してないけど。
これからキリキリと働いていただこうと思ってる。
NikonのSシリーズは夢だった。

Nikonのカメラを使う事に夢を持っていた。
父親のCanonのA-1やF-1はカッコいいカメラだった。だが、自分で購入する事は今のところなかった。何故かNikonが夢だった。
次のNikonはなんだろうか。
いろんなカメラを使ってきたけど、Nikonのカメラを持つと気持ちが違う。
明日も、来年も、Nikonを使い続ける。

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