『葬送のフリーレン』は二時間枠でやる必要があったのか

『葬送のフリーレン』のアニメが放送開始された。
「初回は金曜ロードショーの放送枠を使っての二時間放送』と聞いた時は「正気か?」と思ったし、「小学館が自棄になったのでは?」とも考えたし、「そこまで大きく扱う作品じゃないよ!?」とも言ったのだが、初回放送を見終えた今は「よくやってくれたな……」と感じている。
予想より遥かに良かったし、『ぼっち・ざ・ろっく!』の監督がやるだけの意味も感じられたので総合的には良かったのだが、気にかかっているのは内容だ。
初回二時間放送の内容が「6話分に相当する内容を一気に放送する」だったのだ。
私はこれを「真正面から挑んだ」と見るべきか、「作戦をもうちょっと考えて欲しい」と言うべきかで悩んでいて、未だに答えを出せていない。

6話分に相当する内容をまとめて放送した事の良かった点としては、『葬送のフリーレン』と言う作品の導入と持ち味を初回に詰め込むことが出来た事だろう。
フリーレンがヒンメルの死後に「目に入っていたはずなのに、気にも留めていなかった様々な出来事」に気付かされ、出来事の一つ一つを記憶をたどりながら拾っていく作品だ。その関係上、物語としては淡々としているし、作品が「価値のあるもの」と定義しているものもどちらかと言えば地味である。白湯の美味しさが分かる人間向けというか。そういう作品だ。
そんな作品を毎週一話づつ放送するやり方で展開すると、持ち味が発揮される頃には既にファン獲得の機会を逸している頃だろうし、好きな人間はおそらく完走するだろうが「地味だけど良い作品」という無難な評価に落ち着いてしまうことだろう。
その点を解消する方法として行った「持ち味が発揮される6話分をまとめて放送する」は個人的には間違ってないと思っている。地味な作品であることを考えると、日の当たる場所に引っ張り出す意味でも「最良」なんじゃないだろうか。
ただ今回の6話分に相当する内容が「120分もある」ことを考えると、「その映像が飽きさせないものだったか」というのは検討されたほうが良い。
私はリアルタイムで見ていたので合間にCMが挟まっており、適度に気分転換をさせられていたし、細かい所作や音のリッチさを楽しんでいたので特に気にならなかったのだが、これを配信で二時間ぶっ続けで見るのは映像的な退屈さが競り勝つ気がしてならない。「TV放送が見れなかったり、見逃した人のためにもうちょっと工夫してくださいよ!」と言われたら、それは確かに「そう」である。
それも含めてTVアニメらしい作品だと言えば聞こえは良いのだが……。
ただ「地味だけど良い作品」を「地味だけど良い作品」のまま映像化している点は評価したい。
特に劇伴とEDに関しては映像だけでは取りこぼしてしまいそうな部分も掬い上げているとすら感じる。原作を読み返した際にも頭の中で流れてきそうで、それだけでも映像化した価値があったんじゃなかろうか。

プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。