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『ラブライブ!スーパースター!!』歌えない少女が、誰かのために歌うまで

ついに『ラブライブ!スーパースター!!』の三話が放送されました。
五輪の影響で二話と三話の間に「二週間」という時間が流れてしまいましたが、2週間の中には「一話と二話の再放送」や「特別番組での全国ライブツアーの発表」が行われ、熱と話題は切れなかったと思います。
そしてやっと放送された三話も「一つの最終回」と言っても良いほど素晴らしい一話で。二話から三話まで積み重ねられてきた「期待」に応える会心の出来だったと思います。
そんな三話で良かったのは「ライブで歌えるのか」を主軸として、様々なものを描いていた点でした。

「歌えるのか?」で転がしていく

歌うことが好きで、「歌で誰かを笑顔にしたい」と思っていても、子供の頃から一番大事な場面では歌えない。
そんな経験を何度も何度も繰り返してきて、音楽科の受験にも失敗した澁谷かのんが一話の最後で歌えた時。おそらく見ていた人は「歌えた」と共に「大丈夫」と思ったんじゃないでしょうか。
そんな一話があるからこそ、三話冒頭の「澁谷かのんは歌えない」には事が想像よりも遥かに深刻な問題であることを物語っているのですが、ライブ直前に改めて立ち上がってきた「歌えるようになりたい澁谷かのんと、どうにかして歌えるようにしたい嵐千砂都と唐可可」をコメディタッチに、テンポよく描いている点が面白かったですね。
新しいアイデアが出るたびに一歩進んで。駄目だったので一歩戻って。
それを手を変え品を変え、様々なアプローチに挑む姿として描く事で「かのんは思ったより流されやすい子(でも本当に嫌な事は『嫌だ』といえる子)」とか「唐可可にとっては『今』が本当に楽しい」とか、キャラクターの輪郭がよりはっきりとしたものになるので見ていて楽しい。
また「進んで。戻って」を繰り返していると言っても、その中で「ライブを直前に控えた二人のスクールアイドル活動の進捗状況」が語られているので、「歌えないかのん」という問題は解決に進んでなくても「スクールアイドル活動全体」は進んでいるので停滞している感はない。
むしろ前に進んでいるからこそ、かのんの「歌えない」という問題がより深刻なものとして描かれているんですが、本番まで解決を引っ張らずに「最悪の場合は唐可可一人で歌う」と妥協案を出したのは良かったですね。
「かのんは歌えるようになるのか!」ではなく「2つの選択肢が示された。どっちが選ばれるのだろう」という方向性に持っていくことで、ライブ本番に「どちらの展開になるのか」と期待させてくれる。
問題の深刻さはそのままに、ライブ本番に期待を膨らませていく話の運び方は上手かったですね。

かのんが歌える場所

結論からいえば、澁谷かのんは本番でも歌えませんでした。
「練習で出来ない事が本番で出来るわけがない」という至極当たり前の話なんですが、かのんにカメラを寄せることで「かのんの自分への失望」と必死で励ましてくれていた唐可可のかのんの前だから強気に振る舞っていただけで震えが止まらないほどの不安と緊張、そしてかのんの「どうにかしなきゃ」という思いを一連の流れとして演出してきた点は上手でしたね。
物語を澁谷かのんに振り切り、「さあ澁谷かのん!どうする!?」という気持ちにさせられます。
また澁谷かのんに物語を振り切るからこそ、トラブルの最中で皆の応援を受けて歌い出す瞬間にラブライブ!シリーズらしい熱さと、スクールアイドルの輝きを感じさせられましたが、個人的には「かのんが歌えたのは停電トラブルがあったから」という点がとても面白かったです。
だってあのステージって、二話までで演出してきた「今の澁谷かのんが全力で歌える環境」を、「スクールアイドルだから出来るもの」に昇華しているじゃないですか。

これまで放送された二話までの描写を見るに、澁谷かのんって「人前だと歌えない」ではなく「観客一人一人の顔が見えると歌えない」という難儀なキャラクターなんですよ。
だから集中していて他人の存在が気にならなくなったりすると歌える。一話で歌えたのはそういうことで、他人の存在が気にならなくなるほど歌に没入しているから歌えてしまう。
でも三話アバンの歩道橋のシーンだと早朝とは言え他人が多い。だから歌えない。他人の存在が気になってしまうから人前では歌えないんです。
そんな澁谷かのんが「自分の意志で歌うことが出来たステージ」が「停電により観客一人一人の顔を見ることが出来ない環境」だったのは、設定を考えても必然だったのでしょう。ですが、「闇に向かって歌う」だと、かのんの「誰かを笑顔にするために歌いたい」という夢はかなわない。
そのかのんの夢を叶えるために、ペンライトを持ってきたのは凄いと思います。
暗闇の中でも輝くペンライトは、そこに誰かがいる証拠。
一人一人の顔は見えなくても、そこには『誰か』が確かにいて、自分の歌を待っている。
こういう環境がトラブルによってとはいえ成立したから、澁谷かのんは歌うことが出来、唐可可と二人で新人特別賞をもらえるほどのパフォーマンスを発揮できたんじゃないでしょうか。躓いてケーブルを引き抜いた平安名すみれ、ありがとう。

ライブシーンでも観客の姿を映さず、ペンライトの光だけにしてたのも演出の一貫性が取れていて良かったです。

私が心を惹かれた貴方を嫌いにならないで

また三話は唐可可が良い動きをしてましたね。
一話や二話でも見られたコロコロと変わる表情や、振りの大きな動きでマスコット的なキャラクターになっていましたが、三話では「スクールアイドルに憧れた理由」が語られたりと、真面目な方向でもキャラクターの魅力が描かれていましたね。
個人的に良かったのは「いざという時には歌えない自分の事が嫌い」というかのんを優しく抱きしめ、「澁谷かのん」という人間とその歌が好きだと肯定していた点です。

かのんにとって「いざという時に何もできなくなり、他人の期待を裏切ってしまう歌えない自分」って好きになる理由がない。嫌いだし、そんな自分のことを低く見積もっている。
でも唐可可は「歌っている澁谷かのん」しか知らない。その輝きしかしらない。
だから「私の好きな貴方を嫌いだと言わないで」という言葉に、かのんへの信頼と「貴方は自分が思ってるほど無価値じゃない」という強い思いが宿っていたと思います。
そしてそんな唐可可だから澁谷かのんは逃げず、好きになるための努力をしてステージに立つ事ができたのでしょう。

結びに

ラブライブ!シリーズでは「スクールアイドルとしての最初のライブでアクシデントが発生。それをどうにかして乗り越える」という展開が伝統のようになっていたかと思います。
『ラブライブ!』では「観客が一人も集まらない」という展開がありましたし、『ラブライブ!サンシャイン!!』では「停電でライブを続ける事が危ぶまれる」という展開がありました。
どちらもそんなアクシデントを乗り越える事で「スクールアイドルに憧れるもの」から「スクールアイドル」になっていったわけですが、『ラブライブ!スーパースター!!』ではアクシデントはむしろ「事態を好転させるもの」として描かれており、シリーズファンとしてはそういうところに喜びを感じてしまって何度も見直してしまうんですが、やっぱりよく出来ていて、楽しい気持ちになる作品だと思い知らされます。
『ラブライブ!』から『ラブライブ!スーパースター!!』まで、京極監督の面白い部分が研ぎ澄まされていて、最高ですね。

さて次は第四話。
事故で停電を引き起こした平安名すみれの当番回ですが、三話で固まった『ラブライブ!スーパースター!!』の面白さがよりギャラクシーになるといいですね。

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