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フランシュシュは何にリベンジしたのか

先日『ゾンビランドサガ・リベンジ』が最終回を迎えました。
最終回直前特番には、巽幸太郎役の宮野真守が登場して次回ライブの開催を宣言し、盛り上がった空気のまま最終回へと突入。CM無しのノーカットで放送された最終回は、この作品でしか描けないものに溢れていて、「素晴らしい作品だったな」「見てよかったな」と思わせてくれる最終回だったと思います。
特にライブパートは、本当に現地にいるかのような臨場感がありましたね。
キャラクター達の動きも「あっ、実際のライブでやりそう」が多くてよかったです。

さて。
珍しくリアルタイム視聴をしてまで追いかけていた作品なので、ちょっとだけ『ゾンビランドサガ・リベンジ』について書いていきたいと思います。

リベンジしたのは諦めること

フランシュシュは何にリベンジしたのでしょうか?
一話で述べていた駅スタライブでしょうか?

確かにフランシュシュは駅スタでの手痛い失敗を、「駅スタを満員にする」という方法でリベンジすることに成功しました。「かつて苦い思い出を残す事になった駅スタでライブを開催。成功に導いた」。『リベンジ』におけるフランシュシュの目標すから、「リベンジ」といえるのかもしれません。

ただ「今回フランシュシュがリベンジしたもの」を「駅スタライブだけ」と見てしまうのは少々切り落としているものが多すぎるように思います。
では、私が「フランシュシュがリベンジしたもの」を何と思っているかというと、「諦めてしまう心」「精一杯生きようとする意志を押さえつけようとする力」です。フランシュシュは自分達はもちろん見ている人達、応援してくれている人達に襲いかかる「理不尽」にリベンジしたのです。

思い返してみれば『リベンジ』は様々な形でリベンジが描かれていました。
自分の看板番組を時代の流れで畳んでしまうことを受け入れていたホワイト竜は、諦めていないサキにバトンを託すことでリベンジしました。子役(=成長し、変わることが分かっている立場)であることからやさぐれていた大空ライトは、共演したリリィのおかげで前に進む事ができました。今までライブ演出も担当していた水野愛が不在になり、代わりにまとめることになった紺野純子のエピソードでは他のメンバーが自分達でも演出をもさくしていましたね。

一度死んでいるからこそ、ゾンビィになっているからこそ諦めない。死ぬことを恐れずに挑戦できる。誰かが諦めそうになってしまっても、誰かがそれを支えられる。何度倒れても立ち上がる。リベンジし続ける。
フランシュシュにとって「駅スタライブ」はリベンジする対象の一つのアイコンにしか過ぎなかったのでしょう。

佐賀事変はなぜ必要

またそういう観点に立つと、「佐賀事変」が『リベンジ』を構成するエピソードとして組み込まれている点も面白くなってきます。

「佐賀事変」は、三潴県に併合された佐賀県に「佐賀」という名前を取り戻そうとした喜一を逃し、首謀者逃亡の罪によりゆうぎりが処刑されるまでを描いたゆうぎりの生前のエピソードだったのですが、このエピソードで重要なのは「佐賀」という名前を奪われてしまったとしても「佐賀を諦めない」という心は県民の中に残り続けていたこと。そしてその諦めない心が、例え佐賀を離れることになったとしても生き続けていたことでしょう。
佐賀事変で喜一が打たれていたとしたら、佐賀はきっともうなかったことでしょう(それは喜一が逃亡に成功した後、佐賀自身であるバーのマスター「徐福」が回復していた事からも伺えますね)。
喜一が佐賀を諦めないために逃亡したからこそ、思いは受け継がれ、その意志が佐賀という名を取り戻すことに繋がった点には、「諦めずにリベンジし続けること」は決して特別なことなんかではなく、人々の心の中に宿る力なのです。
佐賀事変はそうした「リベンジすること」をフランシュシュだけのものではなく、誰もが普遍的に持ち合わせているものであること、そしてその力こそが不条理をも打ち崩せる力になることを証明するために、絶対に必要なエピソードだったのです。

「諦めない」サーガ

そんなフランシュシュと、佐賀県民(ひいては人間)が持ち合わせた「リベンジ」を試したのが終盤で描かれた「大災害」だったのでしょう。
豪雨により佐賀全体が大きな被害を受け、街と街、人と人との繋がりは絶たれ、フランシュシュがそうであるように佐賀県民の中には「家」というものすら失った人達すらいた。
もう駄目かもしれない。そういう気持ちは佐賀県民の心の中にひっそりと忍び寄っていたことでしょう。
しかしそんな時だからこそ「諦めない」という言葉や、それを体現する存在が絶対に必要でした。それも佐賀にしっかりと足を下ろした存在が。
フランシュシュはまさにそんな存在でした。
彼女達はこんな状況でも諦めなかった。誰かの笑顔のためにステージに立ち、ゾンビィとバレるかもしれないというリスクを抱えながらも、避難所で一緒に暮らす人達のために歌い続けた。
そういう姿を見ていたからこそ、フランシュシュの「ライブをやります」という声に佐賀県民は答えたのでしょう。
こんな状況下でも、いやこんな状況下だからこそ諦めない。
諦めないで彼女達の声を、歌を聞きに行くんだと。
思いを受け取り、思いを返すのだと。
佐賀に生きる人間として諦めないんだと叫ぶために。

作中で駅スタに集まる佐賀県民の姿は「壮大なサーガのようだ」と言われました。
確かにサーガのようでした。佐賀県民のサーガだったんだと思います。
フランシュシュはそのきっかけを作っただけ。象徴であっただけ。
佐賀の佐賀による人間のための「諦めない」サーガ。
それを描いたのが『ゾンビランドサガリベンジ』という作品だったのではないでしょうか。

結びに

人と繋がること。人と関わること。
誰かのために歌うこと。誰かの笑顔のために頑張ること。

『ゾンビランドサガ・リベンジ』は分かったつもりでいたその尊さを、改めて教えてくれる作品だったと思います。
作中では大災害により「人と人とが接することそのものの困難な状況」になりましたが、2021年の現実に生きる我々もそうした状況下に置かれている事を考えると、より一層染み入るものがあるというか。『ゾンビランドサガ・リベンジ』という作品が輝かせたものがいつも以上に美しく見えました。
ありがとう、ゾンビランドサガ。ありがとう境監督。

冒頭でも述べましたように、フランシュシュはまたライブを開催します。
それも中止になってしまったライブと同じ幕張メッセで!
現実でもリベンジをしようとする彼女達に祝福を。

プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。