かげきしょうじょ__

『かげきしょうじょ!!』のスピンオフが心を抉り取っていった

私にとっての『かげきしょうじょ!!』とは好みド直球の「何度でも読める十年に一本級の傑作」であり、その面白さを語るにはもはや万の言葉でも足りないほどのものであることは短期間の間に二本も記事を書いていることからも明らかだろう。

現在最新巻である七巻まで読み終わってその面白さに死にそうになりながら、「八巻が出るのが遅すぎる」と憤慨しているところなのだが、今回書きたいのは本編の面白さではなく、スピンオフのヤバさについてだ。

『かげきしょうじょ!!』の単行本には三巻以降にはほぼ毎巻「スピンオフ」と称して、本編にも登場した紅花女子達を主役に据えた短編が収録されている。
三巻の「男役志望・星野薫の夏休み編」は祖母も母親も紅華歌劇団の娘役だった星野薫が紅華音楽学校に入る一年前の夏休みの様子を描いた物語で、「諦めてもいいんだよ」「違う道を歩んでもいいんだよ」という残酷すぎる他者の優しさに傷つきながらも、「自分の意志で掴み取ろうと足掻く星野薫」にそれはもう愛おしさを感じたし、最後のモノローグにはもう「終わった恋の話」として「あー!」以外の言葉を全て奪われてしまった。
続く四巻のスピンオフでは冬組男役のトップスターである里美星が男役になるまでのままならなさと生きる道を選ぶ格好良さ、教師一年目の「ファントム」安藤が立派な教師で役者の先輩として一つの仕事を成し遂げるまでを描いていて、これもまた「たまらないな!」という以外の言葉が出てこなかった。本編ではトップスターになった後の里美星しか出てこないので、こういう人生もあることを示されてしまうと何も言えなくなってしまう。『オペラ座の怪人』の引用の仕方も完璧すぎて最高だったわけだが、今回私が最高だったのは五巻と七巻についてだ。

五巻のスピンオフは本編の主役の一人である奈良田愛の指導係だった野島聖が描かれ、七巻では奈良田愛と同じく本編の主役である渡辺さらさの指導係を務めた中山リサが描かれているのだが、何がヤバイかというと「五巻で野島聖が掘り下げられ切ったからこそ、七巻の中山リサの話が心を抉ってくる」のである。

詳細については実際に読んでほしいので伏せるが、『かげきしょうじょ!!』終始徹底して華やかな夢の舞台を成立させようとする役者達の努力と、「夢を叶えて華やかな舞台に立てるのは一握りだけ」という残酷すぎる世界が描いている。
五巻のスピンオフも七巻のスピンオフもそこから漏れずに残酷さを内包した物語になっているのだが、七巻のスピンオフは五巻を読み込めば読み込んでいただけに、そのままならなさが心を抉り、そのどうしようもなさが胸を締め付け、天を仰ぎたくなるような無情さを私に与えていく。

なぜ。どうして。

しかしだからこそリサの最後のモノローグが救いとなる。
言葉に呪いをかけられたリサが、その言葉を祝福に転換する物語を予感させる。いつかはわからないし、おそらく描かれない事だろう。しかし必ず、中山リサ――いや愛里音さりは必ずあの場所に戻ってくるのだと思えてしまう。それが嬉しく感じてしまうのだから、もうたまらない。

『かげきしょうじょ!!』はまだシーズンゼロの上下巻(実質一巻と二巻)と七巻までしか発売されていない。早く読んで、この面白さに打ちのめされてほしい。
それにしても要素だけでも好きになる要素は多いが、まさかここまで夢中になるなんて思ってもみなかった……。奈良っちだけじゃなくて、全員好きだ……(宝塚歌劇団を描くために全てのキャラクターが必要なのが分かりすぎて辛い)。



プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。