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てぃくる 556 にごりえ

 あ、樋口一葉の名作のことではありませんので、念のため。

 「絵をきれいに描きなさい」
 それは、二種類の意味に取れますね。

 きれいな(美しい)絵を描け。
 絵を丁寧に、手抜きせず描け。

 たったこれだけの短文でも文意が二種類に分岐しますし、その受け止められ方になるともっと多分岐します。
 素直に助言を受け入れる方もおられるでしょう。でも、わたしゃ言われるとがっつり反感を覚える人種です。

 泥田を泥田として撮ろうとすれば、泥の色にしか写りません。そこにあるのが泥の色ですから、鮮やかにはなりようがないんです。わたしゃそれでいいの。それ以外何も望んでないの。それなのにきれいに撮れと言われたら、かちんと来るんです。

「あんたの写真じゃないんだ。ほっといてくれ!」

 腕前が悪いってことに対しては反発のしようがありません。そらあ事実ですから。でも、頼んでもいないのに命令形で言われること自体に腹が立つんですよ。

「おまえにアドバイスなんて頼んでねえよ!」

 ……ってね。

 ここが難しいところで。アドバイスする側は、あくまでも好意でそう口にすることが多く、必ずしも自分の優位性を押し付けたり、相手を貶めたりするためにそう言ってるわけじゃないんです。でも単純に先ほどのセリフだけがぽんと置かれると、発言者の背景が全部ぶっ飛んでしまうんですよ。

 たくさんの会話の中のやり取りにさっきのセリフが挟まれば、発言の背景は自動補完されます。おいおいと思われても必ずしも悪意には取られず、せいぜい苦笑止まりになるかもしれません。
 でも断片だけが一人歩きすると、この手の不随意反応を生起してしまうことが多いように思うんです。特に文量に強い制限がかかっているツイッターでね。

 わたしもアカウントは持っていますが、新作アナウンスくらいにしか使わず、ほとんどレイジー(怠け者)アカウントになってます。オピニオンを示す目的では、未来永劫使わないと思います。


 まあ、なんとも冴えない一枚です。ぼやっとした泥田を背景に、これまたぼやっと三尺バーベナが映ってます。まさに濁り画で、美的センスのかけらもありません。
 でも。わたしがなぜこれを撮ったのかを、画像から的確に当てられる人は誰もいないわけで。画像が濁っているのか、濁らせてあるのかは、わたし以外にはわからないんですよ。

 どんよりした曇り空を見上げて、ふとそんなことを思ったりします。


輪を重ね泥に手を貸す早苗嬢

(2019-06-21)

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