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てぃくる 131 作為と無作為

ぴくりとも動いていないのに
じわりと変わっている

ぴたりと固まっているのに
ゆるりと流れている

ひどくこんがらかっているのに
どこもからまっていない

何も過不足はないのに
あちこちに溢れている

こんなにぐにゃぐにゃなのに
こちこちに硬い

こんなに踊り狂っているのに
微動だにしない


 
剪定の終わった柿の木。
 自由気ままに枝を伸ばしているように見えて、それらはきちんと切り詰められています。
 これだけごつごつと無骨な枝ぶりなのに、葉が茂り、実が生ると枝があることすら意識されません。

◇ ◇ ◇

 私たちは、意外に作為と無作為を区別できません。
 作為と無作為を区別しません。
 作為と無作為の混在を軽視します。

 それが元で破綻して災難が我が身に降りかかった時に、思わず大声を上げてしまうのです。そんなのおかしいじゃないか! ……と。

 おかしい? いいえ、おかしくありませんよ。
 在るものは、全てそのまま。ありのまま。そこに作為は介在しません。
 必要以上に見たり、あえて見なかったり、己に都合よく変換しているのは我々です。それは紛れもなく作為。

 そう、おかしいのは我々自身。
 我々自身なんですよ。


 テーブルに置き忘れられた財布は
  なぜ自分がそうなったかを考えない

(2015-03-01)

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