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ダイバーシティについて考えよう! ※お米の話

はじめに

簡単な自己紹介を。
静岡県沼津市で稲作を営んでいます。米の専業農家に生まれ育ち、休みの日などに父の仕事を手伝いながら米作りの世界を覗いていました。
先代が亡くなったことをきっかけに農業を規模縮小して引継ぎ、現在は会社勤め(福祉関係)をしながら、約5haの田で水稲生産をしている就農2年目、32歳の兼業農家です。

このエントリーの主旨

社会のあらゆるところで、多様性の大切さが叫ばれるようになりました。一介の社会福祉士としても、個人としても、多様な生き方を尊重し合うことの重要性を切に感じます(ちなみに多様性そのものの人道的価値と、多様性がもたらす集団的パフォーマンス向上の価値は、ある程度分けて議論することが必要だとは思いますが)。

もっともっとみんな、自由に生きたらいい。さて農業の世界はどうでしょうか?「高齢化」「人手不足」「閉鎖的しがらみ」といった一般的イメージはもとより、農業者として身を置いている人こそ、多様性を体感しづらい世界かもしれません。

言うまでもないことですが、オリジナルの理念や方法論をもって独自の農業を確立している人、ポジティブかつ先進的な取り組みをしている人がこの世界にはたくさんいます。

私が考えるのは「多様性を認めない(ように見える)世界がどこに根ざしているのか」「ビジネスとしての米作りに尽力することが、どのように多様な社会の実現に貢献しうるか」ということです。稲作が抱える構造的特徴と、時代の推移をおおまかに見ながら、これからの米作りの在り方を考えていこうという話ですね。

米は特殊な作物である

水稲というのは世界的にみてもかなり特殊な農作物のひとつではないかと思っています。

水稲の特殊性とは何か?それは「灌漑用水をほぼ必須としている」「他者の介入を防ぐ物理的手立てがない」「連作障害が起きない」の3つにあると考えます。そしてこの3つの特徴はそのまま、日本のムラ社会的な同質文化と深く結びついているように思うのです。

水をシェアしなければ米は作れない

水田の多くは「その周辺エリアを一帯とした共有の灌漑用水設備」を前提として設計されています。相当な集約化あるいは多額の資金投資をしない限り、複数の生産者が一つの用水を共同で使用することになります。「いつ水を入れるか」「いつ中干しをするか」「いつ水を止めるか」問題を、米作りにおいて避けることはできないので、必然的に、一帯エリアのなかで、揚水組合などを介して、ある程度共通のスケジュールで田植え~稲刈りを進めることになります。皆が早生品種を作っているなか、一人だけ晩稲品種を作るなども難しくなります。また、揚水ポンプ等の設備条件によっては、全圃場で潤沢な水量を確保できるとも限りません。

「上の段から下の段に水が落ちる」ような作りになっている圃場では、水そのものを事実上共有していることになるので、除草剤散布のスケジュールを相談して調整したりする必要も出てきます。下の段の圃場では、自分の力だけで無農薬栽培をすることは難しいでしょう。

「みんな仲良く一緒にお米を作りましょう」

水田は隣り合っているので、水以外の面でも、他の生産者と「運命共同体」にならざるを得ないことがあります。草刈り然り、防除然り。害虫対策を一切とっていない近くの田がウンカ被害に遭ったら、飛び火のリスクを考えますよね。一斉防除が当たり前になっている地域もありますが、「経費をかけたくない」「殺虫剤を使いたくない」といった理由で防除に参加しない人がいれば「集団ワクチン」的な効果は削がれる可能性があります。

また、あまりこういう言い方はしたくありませんが、やろうと思えば悪意をもって他人の水田に被害を与えることはおそらく、簡単です。水田はオープンですから。施設園芸のような屋根もドアもなければ、太陽も大雨も、毒物の流入を防ぐこともできません。コンクリート畦畔の上を歩くとき、あなたは「誰の土地」を歩いているのでしょうか?

このような生産条件のもとでは、「他の生産者と協調し、相互監視しながら、栽培作業の歩調を合わせようとする」ことが少なからず求められます(余談ですが、鉄コーティング等による直播栽培が今一つ普及しないのは、技術的理由よりも「田んぼの見栄えがよくないから」という美意識によるものではないかと思っています)。

作付けを「変えなくてもいい」し「変えにくい」

水稲は連作障害が起きない作物とされています。理由として一般的に言われるのは、圃場にたえず外から水が流れ込んでくる、かつ圃場から水を外に出しているので、微生物の生育状況や土壌環境が変動し続け、一方向に偏らないこと等ですね。ちなみに水をどこから供給しているか(どんな川の水か、あるいは湧水か等)によっても水質が変わるので、栽培にも大きな影響が出ます。草木生い茂り、魚もいっぱい泳いでます、みたいな河川の水は微生物も養分もたぷたぷなので、肥料抑えたり。

連作障害が起きない作物というのはそれ自体かなり特殊です。畑で野菜などを栽培していると区分けしながら複数シーズンを多品目でサイクルさせるのが一般的ですが、水稲の場合、毎年同じ場所で同じ作物を同じサイクルで作り続けることが、良くも悪くもできてしまう。

焼畑のように移動する必要もないし、他の作物を育てる必要もない。しかも、前述したように水田はエリア化されていることが多いので、隣接地から水が流入してしまうような圃場では、畑にすることがそもそも難しかったりします(稲作しつつ、オフシーズンに畑としても使うというのは一般的によくあります)。私の話でいうと、元々畑だった土地を地主の方が自分で揚水設備敷いて水田化して、管理を預かっている圃場がありますが、水捌けが良すぎて水を張るのに毎年苦戦したりしますね。

現代において全く珍しい話ではありませんが、田んぼだった土地を埋め立てて宅地にするのも、相対的に見ればそこそこ大変です。場合によっては「沼を埋め立てる」レベルになることもあります。

「連作障害が起きない=何年、何十年と同じ土地が水田利用されている」ことが、土地の流動性を下げているという見方ができるかと思います。

昔はもっとエグかった(たぶん)

ここまで見てきた3つの特徴を踏まえると、水稲という作物がいかに「ムラ社会的な同質文化」との相性が良いか、ということが感じられるのではないでしょうか。尤も、ここでは稲作と同質文化の「親和性の高さ」を示すに留めることとします。同質性を求める文化があったとして(ま、あるんですけど)、その全てのルーツを稲作から説明することはできないよねという話です。ただ、「数十人の人夫による集団作業の人力田植え・稲刈りが当たり前だった時代」を省いて尚これ、なんですよね。やっぱり特殊な作物です。お米って。

これまでと同じではダメなのか?

ダメですね。稲作は「これまでもこれからも、みんなと同じように」に向かいやすい性質を持っているのかもしれません。ただそういう性質を持っているということと、それが産業として成立するかどうかは全く別の話です。「みんなと同じように」で上手くいっていた時代もありましたが、だいぶ前から上手くいかなくなりました。理由は単純に言えば、お米の価格が下がって、機械や資材の生産コストを賄えなくなったから。

実質米価の変遷データなどを見ると明らかですが、1950年代~1970年代頃まで、お米の市場価値は今の2倍~2.5倍あったことがわかります。それだけこの数十年で米価が下がり続けてきたということです。

戦後の米作りの変遷

戦後の日本の稲作の歴史を、ものすごく簡単にフェーズ化してみます。厳密な検証などはしていないので、あくまでおおまかなイメージです。

①1940~50年代:GHQによる農地解放。地主・小作制度が廃止されて多くの人が「自分の農地」を持てるようになった。機械化はまだ進んでいないので農繁期には数十人で集団作業をしていた。逆に言えば、数十人を雇ってペイできた時代。

②1960~1970年代:機械化による作業効率の大幅な向上。それまで人力で行っていた(もしくは牛や馬を使っていた)耕起・田植え・稲刈りといった作業を機械でできるようになったことで、人的コストが大幅に下がり、機械のコストが大幅に増えた。生産効率が上がったことで米価は下がったかというと、高度経済成長期のなかで価格は安定した水準を維持。本業は別にあるけど田んぼも少し持っててお米作ってます、が副収入として十分成立した時代。

③1980~2000年代:請負化の時代。この辺りから米価が下がり始める(そして現在に至るまで下がり続ける)。兼業農家は自分で機械揃えてお米作っていても割に合わないので、生産工程の一部を外注する(田植え・稲刈り・籾摺り等)、あるいは農地を人に貸して対価を得るという選択肢が一般化する。専業農家側も生産規模を増やす、作業請負をするといったことで事業継続を図るようになる。土地を手放す人ももちろん増えるが、まだまだ行政による用地買収などのロマンチャンスもあるので、作らないから農地を売る、とも限らない。

④2010年代~:集約化の時代。種子や苗を買って、稲刈りも人に頼んでペイするのは完全に不可能。お米買った方が安い。用地買収チャンスを待ってる間に相続ピンチがやってくる。買い手がいれば売りたいが、買い手はいなかったり、宅地転用の税金や調整区域の問題もあったりするので、土地ごと人に預けたい。専業農家側も、作業請負ではなく土地ごと請負うニーズが増える。大規模法人化するか、生産コストを抑えるか、Web活用してブランド化するか等。両者の思惑が噛み合えば、一気に一部の生産者に集約が進む。300ha以上を一企業で管理する形は全く珍しいものではなくなった。

米作りを事業として成立させるために

2021年現在、COVID-19の影響もあり、産業としての稲作はかなり厳しい時代を迎えています。しかし言うまでもなく(言うまでもなく、です)、過度に悲観的になる必要はありません。事業としての可能性は無数にありますし、新しいチャレンジはあちこちで現在進行形で動き続けています。個人的に興味深いのは、そうしたチャレンジの多くが、上述してきたような「水稲栽培が構造的に抱えている、同質化への指向性」を克服しようとする動きであるということです。

現代の米作りは同質性との闘いである

例えば、農業法人などによる土地利用型の大規模集約生産。これは単に栽培面積を増やすというより、同一エリア内の圃場占有率を高めることで、一帯における発言力を強め、農地や生育の管理をしやすくする効用の方が大きいと思われます。「新たな統治者」になるのであれば当然、地域における役割や企業としての責任も大きくなりますが、集約化の先に新しい価値を提示できるなら、至極真っ当なアプローチでしょう。

WEBを活用して生産者のパーソナリティや栽培取組みについて情報発信し、セルフブランディングによる直販ビジネスを実現する、というのも現代的なアプローチの一つですが、これもまさに「多様性」志向そのものといえるでしょう。私見ですが、米は保存性が非常に高いので、実は「地産地消」との相性がいまひとつなのではないかと思っています(輸送コストの問題はありますが)。消費者目線でいえば、地元のお米を食べる動機づけに欠けている。裏返せば、離れたところから「素敵な生産者が作っているおいしいお米」を買う理由ができるので、「生産者自身を発信する」ことの意味は大きいと考えます。

生産コストを抑える、ということについては、大規模生産による機械コストの圧縮なども勿論ありますが、「周りの生産者や関連業者に振り回されない」姿勢も必要でしょう。農薬や機械のメーカーの「いいお客」にならないためには、自ずと生産者独自の知見に基づく工夫が求められます。

品種改良の話でいえば、ここ数年でまた、新しいブランド品種がいくつも知名度を上げています。日本のお米の食味志向は長らく「こしひかり」を基準かつ頂点とする形が続いていましたが、いわゆる「こしひかり的」でない食味・食感・香りをアピールポイントとするブランド米が一定の成功を収めていることは、生産者にとっても消費者にとっても喜ばしいことです。

このように見ていくと、いま、稲作を事業として成立させるために行われているアプローチ自体が、稲作における多様性の推進力になっていることが伺えます。稲作をビジネスとして見たときに、多様性に対する視点、同質性に立ち向かう姿勢を必ず持たなければいけないということは、私にとっては非常に勇気づけられる一つの事実です。

再び自分の話に戻る

私自身は5ha程度の「零細農家」ですが、兼業の小規模生産者なりに、事業として継続していくことを考えますし、どういった価値を社会に提供することができるのかを考えます。その中で思うのは、「代々続いてきたものを守る」だけでは辛いよね、ということです。「守らなくちゃいけない」は勿論キツイけど、「守りたい」も同じくらいキツイのですよ。いささか乱暴な言い方をしてしまうと、私は日本的な同質文化の一端の「担い手」にはなりたくないのです。米作りは面白い、やりたい。だけどその過程で「皆と同じことをお互いにゆるやかに強要し合う」生き方はしたくない。エゴと言われればそうかもしれませんが。

私がお米を作ることが、今の社会にとって必要とされる価値を提供し、私自身の自由な生き方を表現するものでありますように。祈りではなく、誓いを立てましょう。

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