確たるあなた


私には幼少期の記憶があまりない。

頑張れば思い出すことも可能なのだろうけど、普通に思い出そうとすると脳の動きが止まるような感じがする。
たぶん覚えていたら本当に生きていけなくなってしまうから、脳か心の防衛のために思い出せなくなったんだろうなと思っている。
そうでなければ、例えば13年同じ家で暮らした父親の声と顔をたった4年で完璧に忘れ去ってしまったことの説明がつくだろうか、とも。

正直このこと自体に関してはさほど気にしてはいないのだけど、たまに自分がひどく空虚な存在のように思えてしまう。
友人や他の人たちにはあるのかもしれない、自分は生まれてから連綿と続いてきた存在であるというある種当たり前の確信。それが私には無い。

その確信が私から奪われたのは中学1年生のときだった。失踪した姉に両親が捜索願を出したことで巻き起こった騒動をきっかけに決定的に家庭が崩壊し、そのときに見た光景、聞いた声、私を取り巻いたすべてがそれまでの私を跡形もなく破壊してしまった。
底抜けに明るく、活発で、いつだって毎日が楽しくて希望ばかりを胸に抱いていた幼い私は、誰を恨むことも出来ないまま知らぬうちに死んでいった。深夜家に押し入ってきた警察か児童相談所の人の声、ヒステリックな母親の声、誰かわからない大人の人に押さえつけられて叫んでいる姉の、未だに脳裏に焼き付く「人殺し」と叫ぶ声、姉が保護されて両親が事後処理のために家を出ていた翌日の昼、1人で姉の机を借りて夏休みの課題をしたこと、静まり返った家。全部覚えている、そんな記憶ばかりが消えてくれない。

そのような系統の出来事がこの後も何度か起こり、かくして、誕生から13年かけて培われた私の礎であったはずの人格や価値観は物の見事に消え去った。人生が一旦断絶されたといってもいい。
そこから続く今の私は常に不安定で、自分の人生がいつもどこか他人事に感じている。13年分が空っぽだから実質今4歳かあ、とふざけたことを考えられるようになるまでもしばらくかかった。

(ただ、こんなことを書いているが私は別段姉を恨んでいるわけではない。当時の姉は今の私とかなり近い年になるのだが、今ならあの頃の彼女の苦しみや絶望が察せられるし、あれは彼女が自分の命を守り生きるために必要だった行動だと理解できる。)

ではそんな空っぽの私はこれからどうやって生きていればいいのだろう?
どう足掻いても失われた13年は戻ってこないし、自分の人生に対する当事者意識も中々簡単に取り戻せるものではない。心療内科の先生もふわっとしたことしか言っていなかったし。

「もうほんとに自分の人生とか幸せとかどうでもいいので、とっとと楽になりたいんです」
どうすれば良いのですかね、
そうへらへら宣ってみたところで、きっと私の手の届く範囲にいる大人に返されるのは「しんどい状況なのは分かるけど、頑張って学校に来てくれないと進級できないよ」とだけ。
いや、それはそう。正しい。あまりにも。私に関わる大人どの人もみんな、それぞれの立場で出来ることを私にしてくれている。それを私は純粋に自覚して感謝するべきだし、実際にそうしている。
ただ私の心中で起こっていることや、今置かれている状況を打開する実効的な術を一緒に考えてくれたりなどと、そこまでの踏み込んだことが出来て、しようとしてくれる人がどこにもいないことは少し苦しい。

人は結局のところみんなどこかで孤独なんだよ、そうやって生きていくものなんだよ。
頭の冷静な部分でそんな声が聞こえる。そうだね。私の空白は私以外に埋められないことはよく知っている。
だから自分の空っぽに気づいた頃から美術展に出かけるようになった。他者の感情や生き様、それこそ孤独までもが刻まれた作品を観測することで、何か1つでも私自身に還元できるものを探そうとした。
文章を書いて、それを公に放つようになった。私自身の中にあるものだけで何か文章を作り上げたら、またそれを誰かが観測してくれたら、私の空っぽが少しでも埋まりつつあることの、その証左になるかもしれないから。
それらの私の足掻きが果たして有効に働いているのか、それは今のところわからない。
いつになっても明確に「空っぽが埋まった」ことの確信は得られないかもしれない。
何年経ってもふらふら不安定に生きているかもしれない。
それでもあの頃の、「あなたは何も辛くないでしょう」と苦しみを語ることすら許されなかった私に代わって、物を語る術を手に入れたことくらいは確たる光として抱えていてもいいだろう。



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