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【日記】言葉と文章を書くことについて

《余りにも思考の垂れ流し過ぎて文としての体裁は何も整っておりません!まともな一理論でもない!》

言葉はこの世界のほとんど誰にとっても借り物だと思っている。
遙か何千年も前に誕生し、気の遠くなるほどの数の人間の思想に、感情に、記憶に彩られまた汚されてきたそれらは何度も何度も繰り返し繰り返し複数を融合され文章となり、砕かれ、そしてまた融合されてきた。
地球上に溢れかえる全てどの言葉にも、文章を作るという行為によって既に誕生していた言葉を借りて自らを擦り付けた存在がいるのだ。(ちなみに夏目漱石は「こころ」の初版の装丁に自作の字をあしらったらしい。そういう人や物については一旦ここでは脇においておく)

私は文章を書く、とは万人に与えられた普遍的なその借り物を並べ立てることによって何にも完全な代替の効かない自己を表す行為だと解釈している。そして本当に、心から奇妙な行為だと感じている。

だからいつも文章を書いている間はふわふわした心地でいる。地に足がつかないし、目の前に羅列された文字群は自分から切り離された借り物の集合体だと認識してしまう。

それでも全てを終えて見返してみればその集合体に確かに血肉の通った自らが存在しているのだ。

摩訶不思議である。

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