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不揃いであるべきもの



制服のスカート。私の通う高校では膝にかかる丈での着用が規定となっているのだが服装検査などもないことから遵守している生徒は中々いないのが実態で、規定通りに着用している友人たちも「足を出したくない」「いちいち折るのが面倒」など個々人での思想からそうしている場合が多い。私自身も例に漏れず、入学時から周囲に流される形で折って着用していた。丈で言うなら膝がちょうど見えるくらいになるだろうか。

先日はそれをしなかった。単なる不意の思いつきで。日曜部活の気だるさから身支度すら億劫で、(なんかもう全部面倒だな)と脳裏によぎった感情に身を任せて入学式以来初めて1回も折らずにスカートを履いてみた。そうして全ての支度を終えて鏡で自分の姿を見た時、私はまるで悪いことをしているような気分になった。

おかしな話だ。悪いことをしているのは普段で、むしろ今日は逆のことをしているというのに。不思議になって最寄駅まで歩く間色々と考えてみたが、これは恐らく私たちの世代全体で共有されがちな「制服の着方」から外れた行為をしているからだろうな、と思い至った。Instagramを開いてぱっと目に飛び込んでくる投稿では、リボンやネクタイは大きく緩め、髪を巻いて、メイクをしている制服姿ばかりが並んでいる。そしてそんな彼女たちの中にスカートを膝下で履いている人はいない。
 校則は守って然るべきだろうという絶対の正しさはひとまず置いておくとして、正直なところ私はその手の服装に関して、度が過ぎたものでなければ個人の自由にして良いものだと考えている。私も休日にはメイクをするしたまに髪も巻く。数年しか着ることの許されない制服姿で仲良しな友達とおしゃれをする楽しさだって理解できるし、きっと良い思い出になるのだろうなと思う。私自身にはそこまで日常的に着飾るバイタリティが無いからしないだけで。
 ただ、制服に対して必要以上の体力を払って着飾ることが当たり前になっている現状には少々疑問を抱いている。
制服とは、本来誰であってもとりあえず着ておけば様になるもの、身分の証明になり品位が示せるものではないのか。
それが「とりあえず着ておく」だけでは許されない衣服となりつつあるように感じている。SNSの台頭によって、スカートはスタイルが良く見えるように膝の見える丈まで折るか切る、シャツは半袖長袖問わず袖を捲る、ニットベストはライン入りを……。などなど、目まぐるしく大量に流入される「これが可愛い、正しい」が強制力をもって広まって、そうでないものは「垢抜けない、間違っている」とする価値観が情報を享受する者に刷り込まれていく。その構図は容易に想像出来ても、自分がその渦中に曝されていると気づくことは中々難しい。現に私はそうだった。

楽しんで気飾る分には一向に問題ないだろう。ただ本当に自分はその姿でいたいのかを考え直す機会が誰しもに必要だと思う。無意識に無理をして女子高生らしくある自分より、居心地の良い服装の自分の方が私は好きになれたので。








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