見出し画像

政治学が何の役に立つのか

最近ツイッターで「政治学がなんの役に立つのだ」「文系の学問がなんの役に立つのだ」と言われたことに、憤慨するツイートをよく目にするのですが、個人的にはその類の話が出てくると高畠通敏先生の『政治学への道案内』の傑作序文「政治学は何の役に立つ?」が思い出されてくすっと笑ってしまう。二年ぶりに本棚から取り出して読み直したけど、改めて面白い。

「われわれを取り巻く人間環境を『状況』として全体的に把握し、そこから逃避するのではなく、これを『人間の条件』として受け入れながら、なおかつ、『状況』として把握するということは、われわれを取りまく『制度』や『イデオロギー』だとか『権力』構造などを、流動する人間の現実のなかでの一変数として見透かすということであり、それはとりもなおさず、われわれの内なる『意識』や『習慣』にらしがらみになっているとのを、突き放して観察する態度を養うことでもある。言い換えれば、『知性のメス』をみがくことだといっても良い」

「政治学を勉強するということは自ずから、ある組織の『有能な』しかし『従順な』歯車として働く術を学ぶということとは異なるし、また、『制度』を逆用して、その中でなり上がるのに『有利な』しかし『盲目な』技能を養うこととも違う。それは、本質的に人間の『知性』のための学という一面を備えているのであり、そのかぎりで、直接的な『実用価値』を本来もたないところに意味があるとしたほうがいい。政治学は全体として、いわば精神の『柔軟体操』なのであり思考の『道具を整備する』仕事なのである。ただし、『知性』ある人間が、長期的には、最大の『実用価値』をもつという抱負こそがそこに潜むのは、もちろんのことである」

この言葉に至るまでの高畠先生流の政治学理解に触れるのが個人的には楽しいんだけど、多分面接等に苦しむ就活生に救いの手を差し伸べてくれるのは(?)締めの一文。

「(政治学の実用価値について)質問してきた相手は、『政治学』に『実用価値』を想定したことによって、いわば『土俵』を勝手につくっている。その『土俵』にリチギに上がってたたかえば、こちらが負けるに決まっている。しかし、どんな相手ともケンカ別れしないで、一応つき合って相撲することのうちに政治ははじまる。それには、さりげなく『土俵』を拡げ、つくりかえてゆくのが一番だ。それは相手の精神にも柔軟体操をさせることのうちに、真の対話をつくりだしたソクラテス以来の叡智でもある。『役に立つといっても、いろいろな役立ち方があると思いますが、......』もちろん諸君たちが、自分の答えをもっていなければならないことはいうまでもない。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?