見出し画像

1年前の出産のこと



こどもが生まれて1年経ちます。
去年の今頃は、、、とこの頃よく思い出します。
自分の備忘録も兼ねて書いておこうと思います。

2020年2月の終わりに出産のために仕事を休むタイミングで学校が一斉休校になり、こどもたちもみんな休みになりました。

世間が大変なことになっている様子をテレビで見ながら完璧なまでのステイホーム。
この混乱した時期に現場を離れていることの罪悪感というか、悔しさもありました。いても何もできないと思うけど。

4月。
親知らずが猛威をふるい、口が腫れて開けられなくなった予定日3日前の妊婦が近所の歯医者さんに駆け込んだのも去年のこの頃です。

産前学級は3回セットの企画でしたが、臨月に受ける予定だったものは中止になりました。

予定日は4月7日。忘れもしない緊急事態宣言発出の日。将来こどもに「あれは月が綺麗な夜じゃった…。」って語ってやろう!と、結構わくわくしていたのですが、全然生まれませんでした。

陣痛促進剤で産む日を決めましょうとなりました。
「いつがいいですか?」と聞かれて、誕生日をこちらの都合で決めていいものかと一瞬悩みましたが、主人(旦那?パートナー?パパ?いまだに呼び方が定まりません笑)が休みやすい日に事務的に決まりました。

ニュースで立ち会いができなくなったとか入院中の面会ができなくなったとか聞こえてきた時期でした。妊婦検診も通うたびに妊婦が他の外来の人とパーティションで仕切られたり、付き添いなども徐々に制限が厳しくなってきていました。


1週間ほど経っても全然生まれないので、もうこのままはちきれそうなお腹で生きていくしかないと謎の覚悟をしはじめたり、
鰻を食べたら早く生まれるらしいとウソをついてほかほか亭の鰻のお弁当を買ってきてもらったりしました。

まあ鰻との因果関係は不明ですが、鰻を食べてるときにやっと陣痛がきたので、陣痛がおさまったタイミングで鰻は完食してから病院に行きました。笑

それからはいろいろあったのですが、
とりあえず分娩所要時間22時間5分と母子手帳に書いてあるので、ほぼ丸1日かかりました。

はじめからなかなか強めな陣痛でした。徐々に痛みが強くなると聞いていたのに話が違いました。
いろいろ動いて叫びまくって、夜中はもうろうとしたところに激痛で起こされることの繰り返し。
自分てこんなに声出るんやと発見でした。笑

本当にこれは幸いで、立ち会いはできました。次の方からはできなくなったそうです。
あまり感情を見せないタイプの夫も自分の子どもが誕生する瞬間を見たことには興奮していました。お互いに完徹でテンションもおかしかったので戦友となりました。

入院生活は面会禁止だったのと他に入院してる人もいなかったのでずっと赤ちゃんと2人きりでしたが、LINE電話し放題で助産師さんのものすごい手厚いサポートも受けられました。コロナ受け入れの市民病院だったので、「乳腺炎で熱出したら発熱外来に行かなあかんから絶対あかんで!」と口酸っぱく言われたのが当時の空気感を現して印象的でした。(あかん言われてもなるときはなるからな…)


それから1年。


睡眠不足と日々進化する0歳児の攻撃力に耐えながら
命を守り育てることの苦労を思い知ったような気分になりかけますが、

前提がいろいろ異なる育児の状況を少しですが知っているだけにもっと楽できるところはなんとかならないものかとかんがえます。
自分の状況ですらこんなにもまわらないことがある。

この子の歩くスピードで処理される世界に目線を合わせると毎回発見があって楽しいです。
時間に追われてないときは…。笑

親の目線を歩き始めて、どんなふうに子育てしたいとか、どんな親になりたいとか、ちょっとは考えます。
なのでなおさら、こどもの目線を置き去りにしないように注意深く自分をチェックしておかなければと思います。


生まれてこの方ずっとコロナのこの人は、
会う人会う人基本的にマスクなのでマスクなしの社会に戻るときがあればびっくりするのかな。


おかげさまで元気に育っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?