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完璧な家族も学校も社会もない。問題山積み。じゃあ自分は何をするのか。

小学校に大人になって初めて行った4年前。

廊下に立って授業中の子どもたちの様子を観察していると100年前から変わってないんじゃないかと思う学校の姿がある。いや、変わったことも変わらないことも、見えていることも見えていないこともある。

良いか悪いかで簡単に語れないリアルの営みがそこにある。

相変わらず、学校は夏も冬も廊下は外気温とさほど変わらない。冬の水道水は凍るほど冷たくて雑巾を洗う小さな手はしもやけで鉛筆がうまく握れない。みんなが掃除を始めても追いやられた机に紛れて給食を食べ続ける子。
物置になっている机は最近学校に通ってない子のもの。教室には様々な係のポスターが貼ってある。係は「会社」と呼んだりするらしい。「お助け会社」、「お楽しみ会社」、「クラス新聞社」…。
ランドセルは銀色、紫色、黄色、緑色、スカイブルーと色とりどり。授業はプロジェクターの光が黒板に映し出した白い文字だったり。暗くした教室で半分以上の子が寝ていたり。iPadで課題をこなし、できた子からクイズ形式の復習問題で反復学習をしたり。運動会で披露するダンスはプロのダンサーが振り付けを考えて教えてくれたり。英語の授業は楽しそうに飛び跳ねながらゲームに参加する子の一方で、訳が分からず周りをきょろきょろ見回して戸惑いの1コマを過ごす子がいたり。

先生は1クラス40人近い生徒全員の興味を引きながら、理解させながら授業する。その40人には、周りの子の何倍も時間をかけて理解する子、音や光など刺激に弱い子、興味がない子、継続して集中できるのは5分が限界の子、朝自分が起きたら薬のビンのよこでお母さんが起きなかった授業どころではない子、友達に嫌わないように必死な子、先生が苦手な子、聞こえ方や見え方が他の子とは異なる子、、、もいるかもしれない。バックグラウンドも含めると多様性と複雑さは増す。
当たり前にみんな違う40人。

それでいて子ども同士の関係性もある。保護者同士の関係性もある。それでもみんなが座っていることになっている授業中はまだマシ。

休み時間や給食の準備、掃除など学校生活には様々な動きが加わる。その時に誰がどこで何をしているか。家で喧嘩した気持ちを引きずったままの子は何気ない友達の一言に敏感に反応し、殴りかかってしまったり。普段から仲が良くない者同士、給食準備に忙しいとき、大人が十分に双方の言い分を聞けなかったら。一方的に悪者にされ、謝らされたら。。。

「自分のことを見てほしい、聴いてほしい。」

それが子どもたちの本音だなと思う。

学校現場で個人の尊厳や人権を当たり前に守ることがいかに難しいか。

集団への教育と相容れない(と思われている)、個別の対応。

学校で求められる水準はますます高くなる。

例に漏れず学校現場も離職や休職は珍しくない。仕事内容は同じだが、待遇が違うという講師の先生方も多い。さまざまな条件が重なって1人で頑張るしかない先生もたくさんいて。学校の働き方改革の話もよくある話題になった。大人が働きやすさ。

家族の形も多様で複雑。

核家族の密閉空間。ひとり親家庭も珍しくない。だからと言って頼れる実家があれば全て解決というわけもなく。

若くしてママになった。自分も仕事をしなくてはならない日々に埋もれる。こどもが学校でトラブルを起こしたと何度呼び出される。なんとなく、学校からの連絡は後回しになって。

不妊治療の末にやっと授かったこの子には、小さく生まれて数年の命と言われたこの子には、確実に幸せな未来をあげたい。嫌なこと、きついことはやらなくていい。傷つくことがあれば全力で守ってあげないと。でも本当にそれでいいのだろうかとも思うんです。

それまで家事育児を主で担っていなかった。準備もなく突然家のすべてをやることになった父子家庭。ダメなのはわかってるんですけどね、それでもなんとかこれでやってくしかないんです。

精神的な不安定さに自分の存在すら消したくなりながら、子育てをしているお母さん。「僕が学校に行ってる間にママがいなくなったら…」と号泣する小学生。

深夜の方が時給が良いから、と幼稚園児と0歳児を家に残していつも心配しながらコンビニでバイトするシングルの母。

スマホの登場で絶え間なく続く友人関係。途絶える家族との交流。

親も子どももいっぱいいっぱい。精一杯なんとか毎日を乗りこなしていたり、乗りこなせてないと言われたり。

どこもいろいろ試して、考えて動いた結果、生活のために、子供を守るために必死でそうなっている。誰もサボったりしてなくて一所懸命。
たまたま発見され、支援につなぐことができることもあれば。学校とも折り合って話ができることもあれば。いろいろ。

うまくやれるなんて一握りかもしれないこの時代。うまくやるってなんなのか。

学校現場にはどうしたらいいか真剣に考える時間がないくらいどんどんやることが舞い込む。

大人の雇用の問題は子どもの世界に直結している。いろいろな形で症状が出てくる。

完璧な家族、学校、社会のない中で、どうやって「それなりの安心安全」を保障して暮らしていくか。
みんながみんな「生きづらさ」を抱えて生きているのは、どうなんだろう。

私は日本社会のごくごく一部を見ているだけかもしれない。その中にこんなふうに幸せがあるんだよ、良いこともあるというのはわかりながらいたい。
でもここに考えるべき社会が抱える様々なテーマが含まれている。

自分の足場をどこに置いて、どんな方法で何をすればよくなるか、模索の日々。
何が言いたいかわからなくなって一旦終了。


※事例っぽいものは全て改変しています。




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