見出し画像

⭐️人物紹介⭐️ウォルト・ディズニー編


実は僕、大のディズニー好きなんです!☺️
愛知県出身なんですけど、よく父の運転で前日の夜中に家を出て年に5回は遊びに行ってました!移動中ぐっすり寝て、起きたらディズニー!遊び疲れて帰りの車で爆睡。。子供の僕からしたら、まさに夢の国でした☺️
ずっと運転してくれた父に本当に感謝です。 

 21歳になって投資勉強をしだすと、株式や会社の決算、入場料の高騰などが目に留まり、昔のような夢の国とは薄れてしまっているのが少し寂しいです。。。


《生涯夢を追い続けた男の話》

 小学生の時に書いた「将来の夢」を覚えていますか?社会に出ると、日々の仕事に追われ、過去に思い描いた夢を忘れてしまうことも。今回は生涯夢を追い続け実現した1人の男の話です。
彼の名前はウォルト・ディズニー
彼の生き様に触れてみようと思います!


①ウォルト・ディズニーの紹介

 生まれはシカゴでしたが、父の仕事の関係で4歳からミズーリ州マーセリンに移り住むことになりました。マーセリンは小さな町で自然豊かな場所で、ウォルトは納屋や木々で遊び、野生動物を観察したりして遊んでいたそうです。その後、彼の創造性や想像力の才能を開花させたきっかけの一つと言われています。

 貧しく、父が厳しい家系で日々新聞配達の仕事で疲労困憊していたウォルトは、学校の成績もあまり良くなかったそうです。しかし、自分で書いた漫画を読んだ友達が喜んでくれる姿を見て、絵を描く事に熱中し漫画家になることを決意します。


ミズーリ州マーセリン イメージ図

②ウォルトの挑戦

 ウォルトは愛国心が強く、第一次世界大戦が始まると、真っ先に志願し出兵しました。そして戦争が終わり心身共に逞しくなって帰ってきた彼は漫画家を目指し会社を設立します。
実はここから、ウォルトの苦難の人生が始まります。

 1920年1月デザイン会社「ウォルト・アイワークス・カンパニー」を設立。アニメーションの仕事をしていくなかで漫画だけではなく、アニメーターとしての才能も開花させていきました。そんな最中、共同経営者が引き抜きされ会社を畳むことに。

 1921年6月本格的なアニメーションを作るべく個人事務所「Laugh-O-Gram Studio」を設立。オリジナルアニメ作品を制作していくが、資金のやり繰りに失敗しこちらも倒産。

 それでもウォルトはまだ諦めませんでした。次はハリウッドに目を向け、兄「ロイ・ディズニー」と共に「ディズニー・ブラザース・カートゥーン・スタジオ」を設立します。そしてウォルトは「オズワルド」を生み出します。誰でも知っているミッキーマウスよりも先に作ったウサギのキャラクターです。オズワルドは子供の間で人気キャラクターとなり、ディズニー社はアメリカでも屈指のアニメ制作会社に急成長します。

オズワルド(ディズニーシーにて)


 しかし、またしても社員の引き抜きに遭います。人気キャラクターオズワルドの著作権も奪われてしまい、倒産寸前まで追い込まれました。

 それでも諦めなかったウォルトは、オズワルドに変わるキャラクターの誕生が必要だと考えました。そして作られたのがミッキーマウスです。その後、数々の大ヒット映画、アニメーション、巨大テーマパークを作り成功を収めました。2つ目のテーマパーク「ウォルト・ディズニー・ワールド」の完成を見る前に65歳という若さで亡くなってしまいましたが、その後もウォルトの意識継ぐ方々によって今のディズニーが作られています。

ウォルトはこんな言葉を残しています。

夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。いつだって忘れないでほしい。すべては一匹のねずみから始まったということを。


③まとめ

 何度も何度も失敗をし、それでも経験を成功に結びつけたウォルトカッコ良すぎます。まさにシンデレラストーリーを体現した方ですね。

 夢を追い求め続ける勇気。僕も周りから否定や非難を受けた時にこの勇気をなくしてしまう事も多々ありました。きっとウォルトもそうだったと思います。ウォルトがネズミをメインキャラクターにしようと言った時、誰がここまでの成功を収めると信じたでしょうか。少なくともウォルトは疑いもせず、ミッキーを信じ続けたのでしょう。

 僕も他人からどう思われようとも、自分の夢の実現のため自分を信じ続けて頑張っていこうと思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?