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納得と恍惚

「孤独を生ききる」瀬戸内寂聴
こちらの本で印象に残った部分が以下
親と子にも言えることだと思う

「 私は、男と女、夫婦の間、人間と人間の間には、川があると思っています。
その川を渡って、むりに一緒に手をつないで歩こうとしないで、両方の岸をそれぞれ、
「ああ、向こう岸にあの人はいるな」と、思って、安心して同じ方向に歩いたらいいんだと思います。
川を無理して飛び越えようとするから、かえって川に落ちて溺れてしまったりする。」

親子とて人と人
見守りながら進み、子供が川に落ちそうになったら注意する、落ちたら手を差し伸べたい

孤独と川で思い出したのが
昨年読んだ「江戸のセンス」という本の
「縞」という柄の「粋」について

「 永遠に交わらぬ平行線が男女の理想だという人もいる 」とあり
それについてその時書いたブログには

誰とも交わらないということより
誰と並走するかということより
自分が自身に対して
まっすぐある事ができるかどうか
私にとっての縞のかっこよさはそこかもしれない

という様なちょっと気恥ずかしい事を書いていて実際それはいつでも理想なのだが

なかなかそうもいかない事も多く
たまにはよろけるよろけ縞の事なんかも書いたりしている

自分にまっすぐ
大切にしたいと思っていることではある

2019.4.12 縞
https://ameblo.jp/mizukikaifurukawa/entry-12453855011.html

「ヴィオレッタの尖骨」宮木あや子

恥ずかしいような後ろめたいような淋しいような
到底素直に喜ばしいこととは思えぬ
身体の中に灰色アメーバが纏わりついて払えない様な
何とも表現し難い感じ

少女から大人になるある時期
精神にも肉体にもそういう得体の知れない何かを確かに抱えていた事ははっきりと覚えている
しかしながらそれを
そうそうこういう感じと再びリアルに体感し味わう事はもう出来ず
何だかちょっとばかりつまらない心持ちになる

正体不明の何かと共存していた居心地の悪さと心地よさ
ヒリヒリしたグロテスクな恍惚

そういうものを感じる宮木あやこさんの小説
「花宵道中」とは異なる面白さ

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