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名画『モナ・リザ』に“神の子羊”と“天使の翼”を見た経緯と考察 #16

#16 ヘントの祭壇画
 天使の翼を見てからおよそ2年が過ぎたころ、私はある絵画に出会いました。それは、『ヘントの祭壇画』と呼ばれるものです。この作品は、ファン・エイク兄弟(フーベルト・ファン・エイク、及びヤン・ファン・エイク)によって描かれた多翼祭壇画であり、1432年に完成したと言われています。以下の記述はウイキペディア『ヘントの祭壇画』よりその一部を引用したものです(図67参照)。

 [『ヘントの祭壇画』は、板に油彩で描かれた初期フランドル派絵画を代表する作品の一つで、ベルギー王国の都市ヘントにあるシント・バーフ大聖堂(聖バーフ大聖堂)が所蔵している。それは、12枚のパネルで構成されており、そのうち両端の8枚のパネル(翼)が畳まれたときに内装を覆い隠すように設計されている。これら8枚のパネルは表面(内装)及び裏面(外装)の両面に絵画が描かれており、翼を開いたときと畳んだときとで全く異なった外観となる。
 内装上段にはイエス・キリストを中心としてその左側に聖母マリアと右側に洗礼者ヨハネが描かれている。マリアの左隣のパネルには歌う天使たちが、さらにその左隣のパネルにはアダムが描かれている。洗礼者ヨハネの右隣のパネルには楽器を奏でる天使たちが、さらにその右隣のパネルにはイヴが描かれている。
 内装下段には連続した一つの情景が5枚のパネルに渡って描かれている。中央のパネルには「ヨハネによる福音書」に記述がある神の子羊の礼拝が描かれている。緑に覆われた牧草地の中央に祭壇に捧げられた生贄の子羊が配され、前景には生命の泉を表す噴水と、噴水基台から流れ出す小川が描かれており、その川底には宝石がきらめいている。
 神の子羊の周囲には、神の子羊を崇拝するために集った天使、聖人、預言者、聖職者や、聖霊の化身であるハトなどが描かれている。
 祭壇の上に乗せられた子羊の顔は鑑賞者に正対しており、その周りを14名の天使が円形に囲んでいる。子羊の胸には傷があり、この傷口からあふれた血が金の杯に流れ込んでいるが、子羊は聖書の記述どおりに苦悶の様子を見せていない。
 子羊の周りを囲む14名の天使は鮮やかな色彩に満ちた翼を持ち、棘の冠といったキリストの受難の象徴物を持つ天使や、香炉を振っている天使もいる。
 子羊が乗せられた祭壇の前飾りの上部には、「ヨハネによる福音書」からの「見よ、世の罪を取り除く神の小羊(ECCE AGNUS DEI QUI TOLLIT PECCATA MUNDI)」が記されている。
 前飾りにある二枚の垂れ飾りには「イエスは道である(IHESUS VIA)」「真理であり、命である(VERITAS VITA)」と記されている。]

ウイキペディア『ヘントの祭壇画』より

 レオナルド(1452年~1519年)が生きていた時代、『ヘントの祭壇画』はおそらく、イタリアでもかなり有名な絵画であったと思われます。レオナルドもこの絵の存在を知っていたとは思いますが、彼が実際に見ていたかどうかは私には分かりません。
 
 でも、私は彼もきっと見ていたに違いないと思っています。この絵を見ていないなどということは、芸術家としてのレオナルドの運命が決して許しはしない。そんな風に思わせるほど、この『ヘントの祭壇画』の存在感はズバ抜けています。少なくともその緻密なタッチは、レオナルドさえ凌ぐものかもしれません。
 
 そして、レオナルドがこの『ヘントの祭壇画』を見ていたであろうとする理由はもう一つあります。それはやはり、彼が描いた『モナ・リザ』です。例えば、以下のように、『ヘントの祭壇画』に描かれている構成要素の主だったものが、『モナ・リザ』に反映されているように思います(図68参照)。

 (1)中央にイエス・キリストが配置され、その右側に聖母マリアが配置されている構成(図69参照)

(2)『ヘントの祭壇画』の垂れ飾りにある「イエスは道である(IHESUS VIA)」との記載は、『モナ・リザ』に描かれた“曲がりくねった道”(これは、『サルバトール・ムンディ(Salvator Mundi)』のイニシャルの『S』を表す)に相当するものと思われます(図70参照)。

 (3)上述では、「聖水もしくは聖血の入った瓶」として記載しましたが、このオブジェクトは、「生命の泉を表す噴水」かもしれません。レオナルドは、『ヘントの祭壇画』に描かれた「生命の泉を表す噴水」と「天使が振っている香炉」とを組み合わせて、レオナルドオリジナルの「生命の泉を表す噴水」を描いたのかもしれません(図71~74参照)。

 (4)上述では、「聖杯」として記載しましたが、このオブジェクトは、『ヘントの祭壇画』に描かれた「金の杯」かもしれません(図75参照)。

 (5)「天使のもつ鮮やかな色彩に満ちた翼」と「生贄の子羊」は、先に記述した「ミカエルの翼」に描かれています(図76参照)。

 おそらくレオナルドは、リザ・デル・ジョコンド(当時24歳)及びジャン・ジャコモ・カプロッティ(当時24歳)のそれぞれをモデルとして聖母マリア及びイエス・キリストを描き、さらに、聖母マリア及びイエス・キリストをモデルとして、人間の本質である「愛」を描いた。即ち、人間の愛を具現化させた最高傑作、それが『モナ・リザ』なのではないでしょうか。念のためもう一度言いますが、レオナルドは、キリスト教の信仰対象として『モナ・リザ』を描いたのでは決してなく、あくまで、私たち人間の本質を描こうとしたのだと思います。
 
 そして、レオナルドにこれほどまでの作品を描かせるに至った動機、少なくともその一部が、『ヘントの祭壇画』にあったと私は考えています。『ヘントの祭壇画』を見たレオナルドは相当の衝撃を受けたのでは? そしてそれは、嫉妬にも似た激しい感情を伴うものであったのではないかと想像するのです。私には、レオナルドが『モナ・リザ』を通じて、『ヘントの祭壇画』に対して多大な敬意と賞賛を表しているように感じるのです。そうでなければ、『ヘントの祭壇画』の要素を、これほどまでに『モナ・リザ』に盛り込んだりはしないと思うのです。つまり、『ヘントの祭壇画』という傑作の存在が、レオナルドの画家としての才能をはるか高みへ導いたのだと、そんな風に思っているのです。
 
 レオナルドがなぜ、完璧主義者と呼ばれるのか。そして、なぜ、あれほど多くの学問に精通しているのか。その理由の一つが私には分かるような気がします。レオナルドは画家として、『ヘントの祭壇画』を超える絵を描きたかった、ただそれだけだったのではないでしょうか。『ヘントの祭壇画』を超えるには、絶対に手を抜くことは許されない。それが、彼を完璧主義者と言わしめた所以であり、そして、あらゆる学問を学び探求したのは、自然法則を徹底的に学ぶためです。
 
 私が見るに、『ヘントの祭壇画』には一か所だけ違和感を覚える部分があります。それは、「天使が振っている香炉」の部分です。『ヘントの祭壇画』の世界では重力が存在します。「生命の泉を表す噴水」での水は、下に落ちて流れていますから。ところが、「天使が振っている香炉」を見ると、天使が振っているというよりは、この香炉自体がふわふわと浮いているように見えるのです。明らかに自然の法則に反しているように見えます。でもそれを言ってしまうなら、そもそも天使の存在自体が自然法則に反しているかもしれないだろうと言われるかもしれません。天使による未知の力によって香炉が浮いているように見せているのだと。しかし、そんなことをする必要がどこにあるのでしょう? 天使が香炉を直接持っていればすんでしまう話ではないでしょうか?(図77参照)

 おそらくレオナルドは、この他にも、『ヘントの祭壇画』の中に自然法則とは異なって描かれている部分を見つけ出したのかもしれません。そして、レオナルドは多分こう思ったのでないでしょうか。この『ヘントの祭壇画』を超える絵を描くには、この世界の自然法則を知り尽くさなければならないと。そしてまさにこの思いこそが、多くの学問を学ぶ動機付けになったのだと私は思うのです。リアリティーを追求することが、『ヘントの祭壇画』を超える絵を描くために不可欠なことであり、そしてその飽くなき追及を重ねた結果、レオナルドは、人間の真理、すなわち「愛の元資」に辿り着いたのだと思います。尚、先に述べた通り、レオナルドは、構造色の原理によって「天使の翼」と「神の子羊」を『モナ・リザ』に描いています。このことは、自然法則に反するどころか、自然法則を利用して描いていることになるので、そういう意味で『モナ・リザ』は『ヘントの祭壇画』を超えていると言えるのかもしれません。
 



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