また書きたいなnote

自由に書くってほんとうに難しい。

特に不特定多数の人がみるものだと。

小説家、漫画家、エッセイスト、記者、インフルエンサー、今話題の脚本家も、すごい。すごいけれど、本当に何を考えているのか分からない。怖くないのか、と思う。

誰かに見せるということだけで、noteなんていうところですら全然自由ではなくなってしまう。書いては消し書いては消し。

言論の自由は他者を傷つけて良いということではないけれど、誰も傷つけない文章というのは想像を張り巡らせれば巡らせるほど何も書けない。自分が傷つきたくないということもある。どう思われるかを考慮するとキリがない。気取りたくない、でも面白いと思われたい、心の内をここまで知られるのは恥ずかしい、、など。自分にだけ宛てた文章を公開することなどはできないし。

大学のレポートは、私と教授との対話だったなぁと思う。仕事で自分の文章を不特定多数の人が読むことはあまりない。

最近では社内報のコラムを全ボツされたこと。年末の自己評価シートをほとんど書き直されて他者評価シートになってしまったこと。

書くことに自由はあっても、読むことには書く側と比較すると自由が少ない。だから不特定多数に公開する文章には配慮しないといけないということだと思う。読みながら何を考えてもいいけれど、読みながら書き手に反論を伝えることはできない。酷い内容の場合は、一方的に反論できない状態で殴り続けることが出来てしまうということ。パワハラと同じだ。文章ハラスメント、ブンハラとでも言っておける。じゃあ、読むのをやめればいい。これも読み手の自由である。でもそれって、書き手の傲慢ではないか。

書くことは得意だと思ってたくさん書いてきた。でも書くことが苦手になってしまったかもしれない。書くことが苦手なのか、心の内を見せることが苦手なのか。

少し大人になってしまったということ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?