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田辺ありがとう!

昨日、大学を卒業した。来週の金曜日から社会人になるらしい。なんてこった。

受験に落ちて私大に来て、あんまり調べなかったせいでド田舎キャンパスに来て、かるたの新歓に行ったら無愛想で背の高い威圧感のある先輩に3人くらいしかいない和室に案内され、私の大学かるた人生ほんとに大丈夫かなと思った4年前。私はこの4年間がこんなにも愛おしくて大切なものになるとは思いもしなかった。

数少ない先輩と同期と、どうやったらゲストをたくさん呼べるか考えた。ゲストをかき集めて練習する日を作ろう!ということで始まった練習会は、偉大な先輩により「みずきち練」と名付けられた。私は強欲で傲慢だった。私が強くなるためには数少ない田辺民を強くしないといけない。私が強くなるために強いゲストがたくさん来てくれないといけない。本当はそんな自分のための練習だったから、「みずきち練」とはナイスな命名だった。数人から始まったみずきち練は気づけば最後には1回に100人を超える参加者になっていた。みんながありがとうと言ってくれたけれど、本当は私のために開いたと言い切れる練習なので、私のほうこそありがとうだった。

田辺はたくさんの人に支えてもらった。新歓やクローバー祭を運営するには人手が少なすぎたので、今出川の人たちの助けも必要だった。いつメンとなったゲストの人たちにも助けてもらった。田辺は不思議な場所だった。私はいつもみんなに支えてもらっていた。

私が連盟役員となったのも、きっかけは田辺だった。田辺にいなかったら私はいろんなことに気が付かなくて色んなことを知らなかったと思う。強い人が自然に集まる大学は実は少数派なのだ。少数派な大学が自分たちの中だけで完結させていたら、大学かるたの世界は広がらないと思った。かるたが強くなるだけなら大学間の交流なんて必要ないのかもしれない。強い人だけで仲良くしていたら良いのかもしれない。でも、かるたの強さだけで繋がる心よりもずっとたくさん、本当はもっとかるたで繋げられる繋がりには可能性があるということが分かった。そしてコロナ禍に入る前の関西連盟は、その繋がりのきっかけを作っていた。関西の大学かるたは本当に素敵だった。素敵な人たちに恵まれた。

今は色々とできない行事も多いけれど、連盟の後輩は繋がりのきっかけを作るイベントをできる範囲で色々と企画をしてくれた。大変なこともたくさんあると思うけれど、色々失敗してもみんなが助けてくれる。なにがあっても大丈夫だから頑張ってほしいと思う。代が被っている連盟の後輩はもういないけれど、私は陰ながら応援を続けるし、コロナ前の連盟を知る最後の代の会長として、今後もしなにかできる支援があればしていきたいな〜思う。

私は、かるたでは大してなにも成し遂げられなかった。たくさんの人が応援してくれたけれど、その期待にはいつだって応えられなかった。自分なりに頑張ったつもりだったけれど、報われない努力は努力とは言えないという言葉もある。それでも、私は田辺でかるたをして良かった。結果は無くてもたくさんのものが残った。もちろん結果が有ればもっと良かったし自分よりも喜んでくれる人が何人もいるけれど、それはこれからのお楽しみにする。

私の4年間の月日に後悔はない。4年間で出会ったすべての人たちに感謝を。1回生の最初から一緒に田辺で頑張ってくれた仲間に特別な敬意を。この特別な居場所を一緒に育ててくれてありがとう。

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