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少年団のスポーツ根性は必要か


小学生のスポコン(スポーツ根性)は必要か。
結論から言うといらないという意見。
必要だと言う人もいるけど大多数は根性論ではないか。
スポーツも科学技術も発展しているのに未だに昭和スタイル上等!みたいな指導者がいる。


配信でも言ったけど小学生時点で全く身体もできていないのに無理にハードワークさせる意味がない。
それで嫌いになったら元もこうもない。
誰しもが大谷翔平、久保建英、井上尚弥になれるわけじゃない。
そんな素晴らしい選手を目標にすることはとても良いことだと思う。
ただし、親であり指導者が変な重圧をかけることはよろしくない。
これは勉強にも言えることである。
小学校のクラスに1人はいたであろう神童と言われた子が年を重ねるに連れて何物でもなくなってる例なんかいっぱいある。


あの現象に名前を付けたい。



それは冗談として、そういう子はスポーツであれば怪我や挫折、変な重圧に押しつぶされてしまったのかもしれない。
自分が何をやりたいのかもはっきりわかってないような時期にスポコン根性論叩き込むのはいかがなものかと思う。
本当にその子やりたいというのであれば地元の少年団に入れるよりもユースチームやそれなりに強いクラブチームに入れた方がまだいいかもしれない。


そんな自分のスポーツ少年団時なにやってたかというと剣道。
親に言われてしゃーなしに1年やったことを今でも後悔している。
めっちゃ小手痛いし、防具臭いし、冬は寒い痛い。
それならサッカーやバスケやもっとモテるスポーツにしときゃよかったと。
やり直せるならそっちにすりゃよかったと思うくらい。
自分には合わなかったので剣道自体を否定してるわけではないです。
そこは幸いにもスポコンみたいなものは無かった。


正直根性論はスポーツ競技をやる上では必要になる場面はある。
この論はスポーツ少年団の幼少期ではなく年を重ねていくと必要になる気がする。
根性論というよりか自分の中で納得させるための精神論みたいな感じ。
ここまで辛い練習をやってきたのだから後悔はない、勝てるとかそんな感じ。
スポーツでも勉強でもそうだけどここまでやったから全力を出せるはずみたいな暗示はあると思う。


勝ち負けが付く世界なので当然負ければ悔しい、悲しい、怒りの感情は出る。
その時に怒りの感情論をぶつけるのではなくなぜ、こうなったのか論理的に話せる方が子供も納得できると思う。
親にも指導者にも言えることだろう。


昔に比べればそういう人も減っただろうけど未だにそういう話は聞く。
今自分がやっているブラジリアン柔術もつい最近あった大会にもそういうおっさんがいてマジか・・・ってなったくらい。
そういう人はマナー研修なりメンタルヘルスマネジメント研修なんか受けた方がいいのかもしれない。
感情むき出しの熱い人も嫌いじゃないのよ。
でも、試合のあとにやってくれ。



おわり


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