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逃げたっていいんだ

人生はまるで勝者のものように語られるが、負けた者は、弱さを認めた者には、また新しい世界が広がる。

ここで必ず戦わなければならいと、なぜ、思い込んでしまうのだろう。
追い詰められて追い詰められて、逃げられないと決めつけ、なぜ、飛び降りてしまうのだろう。なぜ、足元を支えるものを蹴ってしまうのだろう。なぜ、自らを傷付けてしまうのだろう。

長い人生生きていれば、人間、死にたくなることもある。もしかしたら、死にかけたことがある者もいる。

不登校、ひきこもり。それでも自ら命を絶つよりはいい。

学校なら、転校すればいい。越境入学だって、フリースクールだって、定時制の学校もたくさんある。

職場なら、辞めればいい。ブラック企業、学校と同じようなイジメ、そんな職場、やめてしまえばいい。

逃げていいんだ。逃げていいんだよ。

今いる世界が、全てじゃない。違う世界に行ったら、違う自分に会える。

嘘じゃない。私は、小学校五~六年の時、転校した学校で、今でいうイジメを受けた。靴を隠されて、校舎裏で濡れた靴が見つかったり、笛を隠されて、新しい笛を親に買ってもらったら、音楽室の楽器保管庫の裏に、ゴミだらけでみつかったり。これは、イジメの始まりだった。

先生は助けてくれなかった。それどころか、イジメられる私に問題がある、と言われた。さらに、仲の良かった友達を「〇〇ちゃん」と「ちゃん付け」で呼んでいたら、親が呼び出された。先生は私の親に言った。

「〇〇さんのことを、「ちゃん付け」している。私が、〇〇ちゃんをイジメている」と。

親が帰ってきて、私に問いただし「イジメているのか」と聞いた。
私は、仲がいいから〇〇ちゃんと言っている、と激しく否定した。怒りしかなった。その友達、〇〇ちゃんにも、そのことを話した。

私の当時の目標は、「積極的になりたい」だった。記憶に残るほど、何かにつけ書いていた。手も上げることもできず、あてられれば、どもってしまう。自信のない私。一生このままでいいのか。彼らと同じ学校に行って、自分を変えられるほど、強くない。

そして、親の反対を押し切って、私は、皆とは違う中学に行った。そこで、変わりたい。そこで、思い切って手を上げて話せば、私を知らない人達は、私が人前で話したりできるのだと、思うだろう。

レッテル。イジメられていたレッテルをはがすのは、私を知っている人がひとりもいない学校に行くことだった。
親には感謝している。私は、自分のレッテルを、自分で貼り替えたのだ。

何十年もたった今、私は、その〇〇ちゃんと、今も友達でいる。

私をイジメていたのは男子で、その中心となる一人が、昔でいうガキ大将のようなもので、彼に他の男子も従っていた。先生は、その男子のイジメは認めないうえ、私が友達と仲良くすることも認めなかったのだ。

後年、私は仲が良かった何人かから、「あの先生、嫌いだった」と初めて聞く。当時は言えない、聞けないことが聞けるのは、年を経たから。

さらに、〇〇ちゃんから、クラスの何人か女の子が、先生宅に呼ばれて行ったことを聞く。〇〇ちゃんは、先生のお気に入りだったのだ。先生は、イジメられっ子の私と、〇〇ちゃんが仲良くなるのが、嫌だったのかもしれない。

逃げていいんだよ。逃げて違う世界で、違う自分と会おうよ。

人生はわからない。何十年もして、違う中学に行った私でも、また再会して、かつての仲良しと、また会えたのだから。

そう、もし今の世界で、離れたくない人がいても、時々やり取りをすることを忘れなければ、自分から切らなければ、またきっと会える。


逃げてもいいんだ。いいんだよ!!


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そして、またどこかの時代




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