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アンパンマン やなせたかしという詩人

やなせたかし先生が、もともとは詩人であり、メルヘン作家と知っていますか?
さらに「手のひらを太陽に」や昔のアニメ「宇宙エース(タツノコプロ)」の作詞家であることを知っていますか?


今は、やなせたかし先生といえば、アンパンマン!と誰もが言うでしょう。アンパンマンミュージアムもあり、先生の死後、今なおアニメも継続。
今じゃ、女優活動の方で有名な声優・戸田恵子が、このアンパンマンの声だけは、やめない。
戸田さんは、アンパンマンが始まった頃、機関車トーマスの声や、二代目鬼太郎(アニメ三作目)の声もしていた、声優なんです。

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やなせたかし先生を知ったのは「小さな雲の詩」という詩集でした。
現在絶版になっているこの本は、感慨深い詩が多いです。
詩なので、たくさんはご紹介できませんが、例えば
『生まれた時もひとりだし
死ぬときだってひとりだもの 今ひとりだって 淋しくない
いや、ちょっと淋しい なぜだろう』

たくさんの詩と、やなせ先生の挿絵がありました。
それからメルヘン作家と知り
「アリスのさくらんぼ」
「十二の真珠」
など、様々なメルヘン集を読みます。

そして、私は、実はもっと前から、やなせ先生を知っていたと、思い出すのです。
「やさしいライオン」虫プロ(手塚治虫のプロダクション)で、アニメにもなっていました。
この最初の絵本を持っていますが、名作です。

さらにメルヘン集で最初のアンパンマンと出逢うのです。

「とべ!アンパンマン」というやなせメルヘン。
最初はアンパンマンは、おじさんだったのです。

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やなせ先生の、「アンパンマン」がヒットした時、先生は七十歳過ぎていました。
さらに、お子様がいらっしゃらない先生は、奥様が亡くなられた時に、もう新しいアンパンマンの絵を描くのはやめよう、と思います。
そのとき、あの、3.11が起こったのです。

ポスターを頼まれ、何かできるのであれば、とアンパンマンを描きます。すると被災地から。元気づけられた、とたくさんの声が届いたのです。
先生は、もう一度ペンを握る決心をします。

そして亡くなられる直前までアンパンマンを描き続けたのです。
先生が九十四歳で亡くなられてまもなく、アンパンマンミュージアムに行く機会がありました。その日は、声優・戸田恵子がアンパンマンショーにゲスト出演していました。
戸田さんは「本当は今日、やなせ先生と来るはずだったのに、残念です」と言い、自分の来ている服を「やなせ先生に、素敵な生地ですね。と言ったら、先生から同じ生地をプレゼントしてもらって作りました」と言ってました。

後日、やなせたかし先生の追悼番組がTV放送された時、生前の先生のお姿がありました。それは、戸田さんの来ていた服と同じ生地のシャツでした。

七十歳過ぎて大成功し、九十四歳まで書き続けた、やなせたかし先生。
人生、まだまだ、これからと思えますね。

私にとって、やなせたかし先生は、アンパンマンがヒットする前から大好きな詩人であり、メルヘン作家なのです。

最新作「駒草ーコマクサー」
かあさん、僕が帰らなくても何も無かったかのように生きていってね

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