JAGATARAのこと・その4

 なぜか分からないが、江戸アケミの訃報はワイドショーでも取り上げられたので、告別式にも何台か取材用カメラが並んでいた。多磨霊園の日華斎場(今私は偶然この斎場の近くに住んでいる)。良く晴れた寒い日だった。気は引けたのだが、こちらも仕事ということで、参列したミュージシャンたちの声を録るべく、DATのデンスケ(死語!)を持って駆け付けた。真っ先にOTO氏の姿を探し、取材をさせてもらう旨告げて了解をもらう。

 上に食事を用意してあるからと、斎場の座敷へ招かれた。靴脱ぎ場に、案内役なのか、見た目にも意気消沈したベースのナベちゃんが佇んでいた。金色に染めていた髪を、黒いシャッポで隠して、こちらのお辞儀に力なく返礼してくれた。

 座敷では事務所関係者、メンバーはもちろん、鮎川誠さんとシーナさん、遠藤ミチロウさん、こだま和文さん、近田春夫さん、八木康夫さんなど親交のあった方々が、口々にアケミを偲んでいた。さすがにここでテレコは回せず、お開きになる前に下へ降りて、出てきた人たちをつかまえて数名、声を録らせてもらった。なお後年出版された書物で知ったことだが、海外で訃報を受けた内田裕也さんは、後日成田からまっすぐにアケミ宅を訪れ、焼香したのだという。

 1周忌の野音イベント、そしてナベちゃんやサックスの篠田さんが後を追うように病死してしまった時のことなど、それぞれについてまた書けば長い思い出があるのだが、そこはさすがにやめておく。最後に評論の真似事で、4回にわたった駄文を締めたい。

 江戸アケミは生涯通じてアジテートを続けていた人だったが、実は存命時、私はそのメッセージには断片的に共感してはいたけれど、真の意味は分かっていなかったように思える。当時の私は、先のことが見え過ぎていたアケミの言葉を追走できていなかったし、何より自分が若く、享楽的であった。この年になって、はじめて分かるようなことが多く、また感度が鈍いアンテナしか持ち合わせていないために、今の今まで気付かなかったということもあるだろう。

 昨年出版された「じゃがたら」という書物(エレキング出版)に掲載された、こだま和文さんのインタビューに「”そらみたことか、俺は再三言ってきただろ”とアケミが今生きていたら言ってただろう」とあるが、80年代後半の時点でアケミがしていた一種の「予言」(と書くとオカルトめくので、予感の方がいいのかもしれないが)は、いくつも現実のものとなっていることに改めて驚くしかない。実に慧眼であった。そういえば、JAGATARAの87年のアルバムは「ニセ予言者ども」というタイトルであった。世に溢れていた欺瞞をいち早く察知し、それらはまるで我々を危ない未来へと進めてしまう道路標識だと叫んでいたのだろう。

 ただ、自分にとっては、アケミの書いた歌詞の中では、思想的なことよりも、むしろ「昨日は事実、今日は存在、明日は希望」(都市生活者の夜)のような、哲学的と言うべきフレーズの方により惹かれる。この言葉は、私の永遠のパワーワードだ。「お前はお前の踊りを踊れ」と、連帯することよりも強い個を作って立つことを促したからこそ、アケミは信頼できる存在だったと言える。だから死後30年を過ぎてなお、アケミの言葉とJAGATARAの音は、私を鼓舞し続けているのである。

 命日が絡んでいたために、思いもかけず長くなってしまったJAGATARA随想は今回で終わる。もしこれをお読みになり、彼らに興味を持たれた方がいたら、今も音源の多くは入手可能なので、ぜひ聞いてみてもらいたい。個人的にはアルバム「裸の王様」「ニセ予言者ども」から入ることをお勧めしたい。

今後はもっと気軽に、自分にとって書きたいミュージシャンやアルバム、楽曲について思い付きで綴っていくことにしたい。



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