昨日の詩
ここにいる
ここにいるわたし どうも不機嫌で
ここにいるわたし 不安だらけ
暗い部屋で真っ白い光を浴び、いまここにいる
めまぐるしい早さで流れる時間に溺れ
肩の痛みとだるさを感じつつ
いまここにいる
つらくも歩む 五里霧中で
畦道はキョトンとしているよ
心鏡の湖
詩はいいものです。詩の優劣で争わないじゃないですか。素朴であり孤高であります。例えば心鏡の湖は恋愛で詩を書くとしたらこう。
好きとは
糸の切れた糸電話に話しかける。
「好きかもしれません」
好きとは何か。
何をもって好きと断定できるのか。
行き場のない情熱は心を焦がす。
役目を果たせない白いバラは今日もゴミ箱に捨てられる。
愛はわたしの涙を奪って、どこまで逃げていくのか。
夢はどこで溶けていくのか。
桜は、海は、紅葉は、雪は。
今日もまた、わたしは優しくされたのだった。
未だに、糸は切れたままである。
心鏡の湖
ちょっと本気になってしまいましたね。深く考えなくていいです。ドン引きされるので。
では、他にも考えてみます。
ケチャップ王国の1部主人公 みりがとらに恋愛感情をぶつけるとしたら。男性筆者が女性キャラの心情を考えるってかなりの苦行ですけどね。詩というよりショートショートの類い。
私は静かにあなたを眺めていた。同じ帰り道。雨降る大橋の歩道。コンクリートにたまる水溜まりを避けて進んでいた。あなたは立ち止まり、増水した相染川の上流をのぞく。私も川をのぞく。あふれんばかりの水は、私の感情だった。
私とあなたの距離が遠い。走れば息を切らす前にたどり着く距離だが、走ることはできなかった。雨が降っていたからではない。あなたのことが好きになってしまったからだ。
今さら、小学校みたく仲良しこよしで帰るなんてできそうにない。けれども、今の距離を詰められないなんて苦しい。
私は、軟弱者な自分が許せなかった。
軟弱者。そのように思うと、私は使っていた傘を閉じ、大橋から傘を投げ落とした。あなたも軟弱者であるならば、私はわざとでもしっかりしないといけない。私から行動しなければならない。そう思った。
私の足は動き出した。降り頻る雨。全身はぬれる。水たまりを踏み抜く。雨なんてもはやどうでもいい。あなたに、虎のそばにいられるだけでいい。
走ってしまえば近づくのは簡単なもので、すぐに虎の場所へとたどり着く。虎は振り向いて声をかけた。
「傘持ってないのか?」
わたしは静かにうなずいた。
「寒かったろうに、ほら、こっちに寄って」
私はこのとき、虎の前では軟弱者にならないと心に誓った。
柿谷 未理
こんな感じです。いやー、不器用ですねえ。傘を橋から落として既成事実を作り上げる。そうでもしないと距離を近づけられないという。心鏡の湖のキャラだなって感じがします。
昨日から書いていた詩たちですが、いくつかの解説を削除しました。詩よりも歌の解説の方が恥ずかしいです。
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