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もうすぐ10年

 2021年6月2日をもって、「ケチャップ王国」という言葉が生まれて10年になる。

 祝いとして焼き肉でも食べたい気分だが、生憎そのような金銭的余裕は持ち合わせていない。財布の中には入っていてもせいぜい3,000円、貯金はない。おまけに、借金の代理弁済を迎え、信用情報に傷がついたところである。

 無職になって、自閉スペクトラム症と診断され、コロナウイルスで世界が騒がれるなんて、10年前の私は想像もつかなかっただろう。

 2011年6月2日、美ヶ原(うつくしがはら)高原。2泊3日の林間学校はほとんど雨だった。2日目の夕食を終えて、帰り支度のために荷物整理をしていたときのこと。調味料として持参したケチャップをそのままリュックに入れてしまうと、暴発してリュックの中がケチャップまみれになる可能性があった。私はケチャップを減らそうと思い、仲間の注目を浴びたかったのだろう、生のケチャップを飲もうと試みたのである。それはそれは暴挙であり、マヨネーズを飲むのと同じくらいの暴挙であった。もちろん、ケチャップを口に含んだ時点でダメだとはわかっていた。そのときに、どういうわけか、「ケチャップ王国」という言葉が脳裏によぎったのだ。

 そんな言葉、寝て起きたら忘れてしまうのが普通であるが、林間学校から帰った後もケチャップ王国という言葉をつぶやいていた。そしていつしか定着し、気づけば、個人創作にしては膨大な作品群に化けていたのである。小説、作曲、イラストに、ゲームと、私の創作人生はこの言葉をもって始まったといっても過言ではないのである。

 10年間、私の人生はなかなかに悲惨であった。中学でいじめを受けて過呼吸、高校でいじめを受けて脱走、大学は中退、正社員は2年で退職を促された。創作で飯は食べられていないし、ひとり暮らしもできていない。父親に蹴られて警察沙汰、家出に加え、シェルターにも駆け込んだ。よく10年生き延びたなと思う。

 ただ、今年に入って希望は見えたような気がする。精神障害者保健福祉手帳の3級を取得し、就労移行支援が来月から始まることとなった。障害年金も取得できる可能性が浮上し、ようやく去年にはなかった生活の基盤が形成されたように思える。中指をおっ立てそうになるほどに対応の悪い社会福祉協議会(社協)は、エリアを二度変えたことで、安定したサポートを受けられるようになった。(複数の市町村から委託を受けて、障害者相談支援事業を行っている場所に移ったからかもしれない。対応がまるで違う)

 実家においても、ついこないだ自室にエアコンが設置され、灼熱の室温34度を経験しなくて済むようになった。抗うつ剤を処方されてからは、体の硬直が明らかに減った。(飲み始めた頃は吐き気が続いていたが、現在は落ち着いてきている。飲む前よりも眠気が増えたかもしれない)まだまだ課題はあるけれども、着実にいい方向に進んでいる手応えはある。

 今から10年先を考えるのはかなり抵抗があるけれども、より良い生活と人生が送れていることを願うばかりである。

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