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知らない人の死に居合わせたこと

(人の死について、やや生々しく書いています。読みたくない方は回避してください)

日常の場で死んだ人を見るのは2度目だった。
1度目は、おじいちゃんが亡くなった時だ。本人の意向かおばあちゃんの意向かは分からないけれどおじいちゃんは自宅で最期を迎えることになって、学生だった私はそこに手伝いに行っていた。父もいた。おじいちゃんはもうしばらく、ほとんど意識はないように見えた。
夕食後だったと思う、不自由そうに呼吸を続けているのを皆で見守っていたとき、ふいにぱかっ、と口が開いて呼吸音が止まった。これは…と皆で顔を見合わせたのを覚えている。そこからはお医者さんを呼んで、お寺に連絡して、と目まぐるしく進んだ。それが1度目。

定時で上がった駅のホームにいた。飲み会に呼んでもらっていたので、せっせと仕事を片付けて出てきたのだった。
耳にイヤホンを入れて電車を待ち始めたとき、イヤホンのノイズキャンセリングを突き抜けるどん!という大きな音が響いた。初めて聞いた音だった。振り返ると同じホームの向かい側に貨物列車が走り込んできたところで、ホーム上に荷物と、人が、転がっていて、思考する前に私はぐわっと首を戻していた。直視できなかった。本当は駆け寄るべきだったかもしれない。たぶん、その時すでに亡くなっていたと思うけれど、でももしそうでなかったとしても、私は動けなかったと思う。怖かった。とても怖くて、どうしたらいいか分からなかった。

ホーム上は案外静かだった。私たちは現場のかなり近くにいて、誰もがうまく動けなかった。やや遠く、階段に近い人たちは走って駅員さんを呼びに行ってくれたようだった。私はあのとき背を向けていたけれど、その瞬間を見てしまったらしい女の子たちが体を抱え合って泣いていた。ブルーシートが持ってこられるまでしばらく時間がかかったが、その間、その人(だったもの)はぽつんとホームに倒れていて、誰も近寄らなかった。近寄れず、皆が遠巻きに様子を伺っていた。それはとても冷たい光景だと思ったけれど、私自身足がすくんでその静寂を壊せなかった。明らかに何かが散っていた。私の近くに転がる350mlのペットボトルには少しだけまだ中身が残っていて、その人は、いつそのお茶を買って、どういう気持ちで飲んだのだろう、と思った。足が震える。

やがてたくさんの駅員がやってきて、このホームは閉鎖します、全員駅へ降りてください、と叫んだ。ブルーシートが引かれ、誘導が始まる。私たちがホームを降りるには、そのブルーシートのわきを通らなければならない。皆が躊躇ったが、駅員にせかされて恐々と歩き出す。泣いていた女の子たちが、無理だ、無理、と頭を振って訴えるが、駅員に一緒に行きましょう、救護室で休みましょう、と強く腕を引かれていた。
何かは分からない、分かるほど見られないけれど、足元に液体や固体があって、踏んでしまったら申し訳ない気もして、ただ恐ろしくもあり、でも進むしかなく、階段まで歩いた。
改札口に戻ると、人がごった返し騒然とはしていたけれども、その大部分の人は実際に事故を目撃した人ではなく、そこは概ね日常の世界だった。救急車のサイレンが大きくなってきたけれど、事故による遅延には皆慣れっこでもある。その中に紛れて改札を出て少し歩き、柱にもたれかかって息を整えた。

どういうことだろう、と考える。私がいた同じホーム上に、すぐ近くに、もう死のうと決めた人がいて、それを実行して、ほんとに物体になったんだ、それは一体どういうことだろう。私は今どういう気持ちでいればいいんだろう。まったく知らない人が死んだ、その瞬間に立ち会ってしまった私は。

でも、確かに泣きそうだったけれど同時に、けっこう平気だ、という自分も把握していた。多分この感情の乱れは一時的なもので、私は明日も電車に乗るのだろう、数日は思い出すけれどやがて意識もしなくなるだろう。またもしもこの先、たくさんの死を見るようなことになってしまったとしたら、そういう時代が来たら、きっと私はああいう光景にも慣れてしまうのだろう。そういう予感もあった。だって私は促され、その横を歩けたのだ。だからどうか、そうなりませんようにと思った。できるだけ慣れたくない。どうか、どうか。

10分程だと思う、俯いて心の地震の一番大きなところをやりすごしてから、とにかくここを離れよう、と思って腹に力を入れ足を動かし、別の路線の改札口をくぐった。
さっき破片を踏んだかもしれない足元から何かが立ち上ってくるような気がして落ち着かない。ホームに上るとちょうど向かい側にさっきいたホームがあり、停車した電車でそれは見えなかったけれど、そちらを見られずまたずっと俯いていた。周囲には、それぞれの行き先に思うように行き着けるだろうか、この電車は混雑するだろう、最近は事故が多いね、そんなざわめきが満ちていて、だけどその呑気さ、無関心さはその時の私にとってはありがたかった。その騒がしさがバリアとなって向こう岸のホームと私を隔ててくれるように思った。

飲み会には行かなかった。行って人と話したほうがいいような気もしたけれど、今人と話したら意味の分からないところで泣き出してしまいそうだったし、生そのものである食事をどういう目で見ればいいかも分からない気がした。
かといってそのまま帰るのも無理だ、と思って、降りた駅でスタバに入ってテラス席から母親に電話した。周囲は年末ムードの繁華街で騒がしく、母はしきりに私を可哀想がってくれ、手元の飲み物は温かく甘かった。何もかもありがたかった。

そこから先は概ね予想通りで、その晩私は絶対に自分で美味しいごはんを作って食べようと決めて、そうした。睡眠時間は短かったけれど、怖い夢は見ずに済んだ。翌朝電車に乗って、昨日事故があったそのホームに降りる時にはさすがに身がすくんだけれど、ちゃんと歩けた。私はその人が倒れていた場所がどこなのか大体知っていたけれど、ホーム上にそれと分かる痕跡はなかった。それを掃除した誰かのことを思った。辛い仕事だ。

ただ居合わせてしまったことに意味なんてなく、私はその人がどんなふうに辛くてどんなふうに死に到ったのか、何も分からない。死は彼を救ったのか、それともまた別の苦しみが待っているのか、知ることもできない。生きている限り。

死ぬななんて人に言えない、私も生きることは怖い、ふっと生をやめてしまいそうなことが確かに数度あった。いつだってそちら側に立ち得る。
ホーム柵を越えてしまうような衝動はきっとどこかに、今は大きくなくても、いつでもひっそりと眠っている。

帰り道、スーパーを出入りするいろんな人たちを見て、生きている、と思った。生きて動いている。それは本当に、本当にそれだけですごいことだ、えらいことだ。人なんてちょっと壊れただけで、皮を破いただけで、ほとんど液体みたいな何かになってしまうんだ。生きているというのはすごいことだ。

そんなことしか言えない。ごめんねと思う。誰だか知らないあの人、どこから来て、その後誰に連絡がなされて、どういうふうに埋葬されていったのだろう。楽になっていたらいいね、とも言えない。私はあまりにも部外者だ。

ただ、きっと私は日々にのまれて、生に翻弄されてすぐに忘れてしまうから、せめて書いておこうと思った。ただの覚え書きだけれども、それでもまだその時の感情を覚えているうちに、そこになんの意味も価値もなくても、まだ何も整理できていなくても、この出来事を記録だけはしておこうと思った。

ここまで読んでくれた方、しようもない文章ですみません、聞いてくれてありがとう。何かを伝えたいわけでもなく、ただ、ただ生きてこれを読んだりしている、あなたに光が降り注ぎますようにと思うよ。
メリークリスマス!

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